毎年、「原爆の絵」プロジェクトに取り組む基町高校普通科創造表現コースの生徒たち。被爆者と仲間の生徒の話をしっかりと聞いていた(photo 写真映像部・東川哲也)
毎年、「原爆の絵」プロジェクトに取り組む基町高校普通科創造表現コースの生徒たち。被爆者と仲間の生徒の話をしっかりと聞いていた(photo 写真映像部・東川哲也)

■泣きながら描く生徒も

 田邊さんは中学生の頃、基町高校のオープンスクールでこのプロジェクトを知り、自分も取り組みたいと思い進学した。

 プロジェクトは広島平和記念資料館(原爆資料館)主催で2004年に始まった。被爆者が被爆証言をする際、言葉でなかなか言い表せない場面など、絵があれば体験がより伝えやすいからだ。当初は広島市立大学に委託。07年から創造表現コースのある基町高校で取り組むようになった。

 07年から21年春まで指導した橋本一貫元教諭(現・非常勤講師)は依頼が来た時、まずやってみようと思ったものの難しさも感じたという。

「できあがるかどうか心配はありました。証言をただ聞き取るだけでは上っ面な絵しか出来ませんから、被爆者の想いを聞いて、描く場面の背景、ケガの状況や血の色とか根ほり葉ほり聞かないといけない。途中でやめたりしないか、トラウマになるのではないかとか考えました」

 何度も描き直し、夜中にうなされ、泣きながら描いた生徒もいるという。しかし、15年間途中でやめたケースは一つもない。ただ、1カ月くらい筆を執れなくなるような生徒もいた。

「惨状を受け止めて絵として表現できない。想像力が追いついていかないという苦しみがあるんですね。被爆者の方の心境、悲しみを表現しようと、一生懸命考えてしまうわけです」

■被爆者も見直す機会に

 内面的なことだけでなく、被爆者が語る言葉の一つひとつがそもそもわからない。「大八車」「ゲートル」「国民服」「もんぺ」……。被爆者の口から、聞いたこともない言葉が出る度に、質問し、資料や写真を調べるところから始めなければならなかった。ただそうした苦しみを乗り越えて描き上げることに意味があると橋本元教諭は言う。

「生徒は技術的には未熟でも、必死になって、被爆者の想いに近づこうとする。僕も一度描いたことがあるのですが、なまじいろいろ知っているもので、淡々と描いてしまい、絵に感情がこもらないんです」

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