藤井聡太は自身が生み出す数々の記録は意識せず、棋力向上を求め続ける。周囲の喧騒をよそに、静かに盤上を見つめる
藤井聡太は自身が生み出す数々の記録は意識せず、棋力向上を求め続ける。周囲の喧騒をよそに、静かに盤上を見つめる

 10代での5冠達成という史上初の快挙を成し遂げた藤井聡太さん。A級昇格も史上2番目の若さで達成した。そんな記録に残る2021年度だったが、藤井さんにはどう映ったのか。AERA 2022年3月28日号から。

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「来期、挑戦争いにからめるよう、がんばりたいと思います」

 3月9日。順位戦B級1組最終戦に勝ってA級昇級を決め、名人挑戦権を争う立場になった藤井聡太(19)はそう語った。

 定員13人が総当たりで戦うB級1組は全12戦。9勝2敗だった藤井は昇級争いトップの立場で最終戦に臨んだ。競争相手は稲葉陽八段(33)と千田翔太七段(27)で、いずれも藤井に土をつけている。「鬼のすみか」と呼ばれるこのクラスはA級に準ずる実力者が並ぶ。最終戦、結果的には稲葉、千田も勝ったため、ギリギリでの昇級だった。

 藤井が最後に戦った相手は佐々木勇気七段(27)。20代若手の代表格の一人だ。

 2017年。当時まだ14歳四段だった藤井は、デビュー以来無敗で29連勝という将棋界新記録を打ち立てた。そのとき、藤井の30連勝目を止めたのが佐々木だった。最終戦で藤井─佐々木戦が組まれているのがわかったとき、大変な勝負になると予感した人は多かっただろう。

 佐々木自身は途中まで7連勝の快進撃だったものの、そこから4連敗と失速。最終戦を迎えた段階では昇級の可能性は消えていた。しかし、佐々木は全力で藤井に向かった。

「藤井さんとの対局は楽しみにしていたので、なにか新しい試みで対局に臨んだんですけど」(佐々木)

■佐々木の「鬼手」しのぐ

 角換わりの戦型で、佐々木は用意の仕掛けを敢行する。意表を突かれた藤井は時間を使って考えたもののうまい対応策を見いだせず、佐々木がリードを奪った。藤井が辛抱を重ね、形勢は揺れ動いたあと、終盤で佐々木がはっきり優位に立つ場面が訪れた。藤井玉は中段に引っ張り出され、いかにも危険な形だ。そこで佐々木に銀をタダで成り捨てる「鬼手(きしゅ)」が出た。佐々木の才能がほとばしるような鮮烈な一手だった。もしこの手で佐々木が勝っていれば、将棋史に残る銀捨てとたたえられただろう。しかしそれは最善手ではなかった。佐々木の鬼手を敗着にさせたのは、藤井が正確にしのぎきったからだ。

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松本博文

松本博文

フリーの将棋ライター。東京大学将棋部OB。主な著書に『藤井聡太 天才はいかに生まれたか』(NHK出版新書)、『棋承転結』(朝日新聞出版)など。

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