フランス語で不条理をあらわす「アプシュルド(absurde)」には理屈が立たないという意味だけでなく「ばかげている、ナンセンスだ」という意味がある。このニュアンスが翻訳の際に抜け落ちてしまったのだ。
「『カミュ伝』では不条理が意味するものをわかりやすく説明し、カミュをフランス文学の文脈から解き放ちたいと考えました。日本でフランス文学というと、よくいえば高踏的、悪く言えば現実と無関係な観念の遊びをやっているというイメージがありますね。けれどカミュの書いた小説作品は、病気やレジスタンスといった彼の体験、実人生と結びついて、そこから生み出されたものでした」
たとえば『異邦人』の有名な冒頭「きょう、ママンが死んだ」は、場末に住んでいる主人公ムルソーの境遇を考えると「母さん」と訳すのが妥当ではないか。他にも山田風太郎や三島由紀夫がカミュと同じ考えを持っていたこと、また青年時代からの演劇との関わり、恋多き男であったことなども興味深い。
「カミュは『異邦人』で20世紀の人間像の典型を作り出しました。46歳のとき、自動車事故で急死しますが、それさえも自動車という現代性を帯びて、彼の人生を結晶化させるようなものになった。残酷だけれど、カミュらしい死を生きたといえるでしょう」
(ライター・矢内裕子)
※AERA 2021年12月6日号