哲学者 内田樹
哲学者 内田樹

 哲学者の内田樹さんの「AERA」巻頭エッセイ「eyes」をお届けします。時事問題に、倫理的視点からアプローチします。

*  *  *

 理事をしている大学から社会人対象のリカレントカレッジの教養講座3回分の講師を頼まれたので、「映画と戦争」という演題を選んだ。戦争にかかわる映画を見てから、それを素材に戦争と映画について語るのである。1回3時間なので、映画を見ると私が話す時間は1時間ほどしかない。それで定額の授業料を頂いては申し訳ないので、事務局に頼み込んで半額にしてもらった。

 第1回は小津安二郎「秋刀魚の味」。直接戦争を扱ってはいないが、戦中派の男たちが戦争経験をどう抑圧してきたのかが鮮やかに描かれている。

 トリスバーで「軍艦マーチ」がかかった時、一人のサラリーマンが遠い目をして「大本営発表」とつぶやく。隣のサラリーマンが「帝国海軍は今暁五時三十分南鳥島東方海上において」と続ける。それを最初のサラリーマンが「負けました」と断ち切る。「そうです。負けました」ともう一人も応じて、二人は笑ってまた前を向いて飲み始める。12月8日から8月15日の間のことは「話題にしない」という暗黙の社会的合意が戦後17年の日本には存在したことをこの場面は雄弁に教えてくれる。

 ラストシーンでは、かつて駆逐艦艦長だった平山(笠智衆)が「軍艦マーチ」の「守るも攻むるも黒鐵の」の後に「か」という吐き捨てるような破裂音を付け加える。この「か」に小津の万感は込められていると私は思う。英語話者は両手で「ちょき」を作って二度曲げる仕草(しぐさ)で「これは引用です」ということを示すが、この「か」はそれに近い。平山は「そういう幻想がリアリティーを持っていた時代がかつてあり、それは永遠に終わった」ことを認めると同時に職業軍人としてのおのれの前半生の記憶を封印し、それについては二度と語らない決意をこの「か」に託している。

 戦争中に経験したことについてはもう語りたくないという戦中派の心情は私にも理解できる。けれども、戦争の記憶は封印しようという戦中派の集団的合意のせいで、私たちはそののち、歴史修正主義者の跳梁(ちょうりょう)を許すことになった。小津は戦中派の沈黙をかくもやすやすと踏みにじる人々の登場を予測してはいなかっただろう。

内田樹(うちだ・たつる)/1950年、東京都生まれ。思想家・武道家。東京大学文学部仏文科卒業。専門はフランス現代思想。神戸女学院大学名誉教授、京都精華大学客員教授、合気道凱風館館長。近著に『街場の天皇論』、主な著書は『直感は割と正しい 内田樹の大市民講座』『アジア辺境論 これが日本の生きる道』など多数

AERA 2021年6月21日号

著者プロフィールを見る
内田樹

内田樹

内田樹(うちだ・たつる)/1950年、東京都生まれ。思想家・武道家。東京大学文学部仏文科卒業。専門はフランス現代思想。神戸女学院大学名誉教授、京都精華大学客員教授、合気道凱風館館長。近著に『街場の天皇論』、主な著書は『直感は割と正しい 内田樹の大市民講座』『アジア辺境論 これが日本の生きる道』など多数

内田樹の記事一覧はこちら