開発時に、カップの中間に麺を水平に入れる作業が難航。安藤百福さんは朝に夕に考え続け、ある晩、ふとんの中で天井が回転し、天と地が逆になった感覚に襲われ、「逆転の発想」を得る(写真:日清食品ホールディングス提供)
開発時に、カップの中間に麺を水平に入れる作業が難航。安藤百福さんは朝に夕に考え続け、ある晩、ふとんの中で天井が回転し、天と地が逆になった感覚に襲われ、「逆転の発想」を得る(写真:日清食品ホールディングス提供)

 もはや世界食といっていい、カップヌードル。半世紀にわたり愛され続けてきた理由を探ると、たくさんの秘密が詰まっていた。AERA 2021年5月24日号で取材した。

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 1971年。東京・銀座の歩行者天国で、その後の日本の食文化を大きく変える二つの「事件」が起きていた。7月、銀座三越の1階に米国のハンバーガーチェーン「マクドナルド」の日本1号店がオープンした。さらにその4カ月後、カップに入った麺をフォークで食べ歩く若者たちの姿があった。世界初のカップ麺「カップヌードル」が同年9月に誕生したのだ。

 その頃の様子を、約2万食の即席麺を食べてきた愛好家の大山即席斎さん(62)は、次のように語る。

「初めてカップヌードルを食べたとき、あまりにも斬新で、おいしいとか、まずいとかより、驚きのほうが先にたちました。父が『食べてみよう』と買ってきたのです」

 麺なのに、容器はどんぶりではなくコップの形をしていた。しかも材質は発泡スチロール。「ヌードル」もあまり聞き慣れない、新しい言葉だった。

「70年に大阪万博が開催されて、『未来型のテクノロジー』に日本中が夢中になりました。カップヌードルはその延長上の『未来食』のように感じられました。今に置き換えるなら、宇宙食を食べるような感覚に近かったです」(大山さん)

■あさま山荘事件が転機

 カップヌードルをこの世に生み出したのは、世界初のインスタントラーメンを発明した日清食品の創業者、故・安藤百福さんだ。58年に袋入りの「チキンラーメン」を売り出し、即席麺の市場を切り開いた。66年、海外進出の可能性を探るため欧米を視察。売り込みに行った米国のスーパーで、バイヤーがチキンラーメンを小さく割って紙コップに入れ、湯を注いでフォークで食べているのを見て、着想を得た。

 とはいえ、製品化は簡単ではなかった。幾多の難題を乗り越えなければならず、発売までに5年の歳月を要した。それでも最初は苦戦した。当時、袋入りが25円ほどだったのに対し、100円もしたからだ。転機は、72年に起きた「あさま山荘事件」。連合赤軍と対峙する機動隊員が、雪のなかで食べる姿がテレビに映り、一気に広まった。

 それから50年。たった一つの商品から始まったカップ麺は、国内だけで約4800億円の市場を生み、いまや世界各国で食べられている。なかでも先駆者であるカップヌードルは不動の地位を保っている。単なるブームに終わらず、その後も愛されてきたのはなぜか。

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