震災10年「防潮堤に頼らない」を選んだ二つの街 被災前の砂浜を取り戻した地域も 〈AERA〉|AERA dot. (アエラドット)

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震災10年「防潮堤に頼らない」を選んだ二つの街 被災前の砂浜を取り戻した地域も

菅沼栄一郎AERA
宮城県気仙沼市の舞根湾。高台との間の湿地などには、津波の後に、希少種のウナギやメダカがすみついた(写真:横山勝英教授提供)

宮城県気仙沼市の舞根湾。高台との間の湿地などには、津波の後に、希少種のウナギやメダカがすみついた(写真:横山勝英教授提供)

 東日本大震災後に多くの地域で防潮堤が築かれたが、地域の景観や自然環境を壊すなど、問題も多い。一方で、防潮堤だけに頼らない選択肢をとることで環境を守った地域もある。AERA 2021年2月15日号の記事を紹介する。

【写真】圧倒的な威圧感がある 高さ9.7メートルの防潮堤(石巻市)

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 静かな入り江には、小型の船が並ぶ。

 岩手県釜石市の南、唐丹湾にある花露辺(けろべ)漁港。地名の語源といわれるアイヌ語の「ケロッペ」=「おだやかな里」そのままの光景が目に映る。

 谷間にへばりつくように広がる68軒の集落を10年前に襲った津波では、1人が亡くなり、25世帯が全半壊、64隻の船はほぼ全滅した。

 花露辺の集落に、もともと防潮堤はなかった。震災当時の町内会長だった下村恵寿さん(71)によると、震災後は防潮堤を求める意見が多かったので市に要望した。県が示した計画は、高さが14.5メートルもある高い防潮堤だった。

「海が見えるのか」「ワカメの作業場はどうなる」。異論が相次いだため、高台移転と避難路を作る、との代案を県に申し出て、合意に至った。その後、域外に避難していた人たちが戻ってきた。「防潮堤計画がそのままだったらどうだったか」と下村さん。

 震災以来、防潮堤の建設現場を歩いてきた東京都立大学の横山勝英教授(環境水理学)によれば、大半の地域は行政が説明会で示した図面を原案通り了承したという。被災した居住区域で防潮堤が建設されなかったのは2カ所だけ。先の花露辺と、もう一つが宮城県気仙沼市の舞根(もうね)地区だ。ともに、小さな集落で、自治会の強いリーダーシップで、住民の意見を集約できた点が共通している、と言う。

 舞根は、気仙沼湾の奥まった入り江にある漁村だ。52軒中44軒が流された。集落は2012年春に高台移転を決め、住民の総意で、景観をそこなう高さ9.9メートルの防潮堤は不要とした。

 舞根はNPO法人「森は海の恋人」の拠点で、震災前から大学教授らが生態系を守る運動で出入りしている。震災後にできた湿地で新たな研究も始まった。先の横山教授は、「防災と環境はどちらが大切か、という旧来の考え方でなく、両立できる道が、こうした現場には見えるのではないか」と言う。

 気仙沼市の南にある大谷海岸は防潮堤をセットバックして、背後の国道と一体化させ、被災前の広い砂浜を再現。今夏の完成を目指す。住民運動を進めるうちに市議になった三浦友幸さん(40)が言う。

「地域の中には、防潮堤に対する賛成も反対もありましたが、これを砂浜を守る運動に一本化して、具体的な代替案作りにつなげたことが、結果に結びつきました」

(ジャーナリスト・菅沼栄一郎)

AERA 2021年2月15日号


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