サーファー御用達の大岐の浜を背に立つ染谷さん。土佐清水市は、東京から空路と陸路で約5時間と、最も遠い市の一つだ。市内には四国最南端の足摺岬がある(写真:染谷さん提供)
サーファー御用達の大岐の浜を背に立つ染谷さん。土佐清水市は、東京から空路と陸路で約5時間と、最も遠い市の一つだ。市内には四国最南端の足摺岬がある(写真:染谷さん提供)
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加藤さんは「地域の方と共同して町を活性化させ、演劇祭事務局の開設準備も進めています。専門職大学の学生とも世代を超えた連携を築きたい」と話す(撮影/澤田晃宏)
加藤さんは「地域の方と共同して町を活性化させ、演劇祭事務局の開設準備も進めています。専門職大学の学生とも世代を超えた連携を築きたい」と話す(撮影/澤田晃宏)
小谷さんは現在、退任後に知り合った男性と結婚し、竹野町内の平屋の古民家を購入した。夫婦で自宅を改修し、今後も竹野の町で生きていくつもりだ(撮影/澤田晃宏)
小谷さんは現在、退任後に知り合った男性と結婚し、竹野町内の平屋の古民家を購入した。夫婦で自宅を改修し、今後も竹野の町で生きていくつもりだ(撮影/澤田晃宏)
AERA 2021年2月8日号より
AERA 2021年2月8日号より

 コロナ禍もあり密の少ない地方に移住したいが、就業先があるか不安。「地域おこし協力隊」はそんな人々と、人材がほしい自治体の架け橋だ。AERA 2021年2月8日号では、制度を使って移住を実現した人たちの声を聞いた。

【図を見る】地域おこし協力隊の隊員数は右肩上がりだ

*  *  *

 目標だった中国での駐在員生活は、わずか4カ月で幕を閉じた。

 染谷輝夫さん(40)は大学時代に1年間休学し、中国へ留学。卒業後は中国語のスキルを生かしメーカーなどで働いてきたが、勤め先には現地法人がなく、駐在員のポストはなかった。

 38年間生まれ育った東京を離れ、中国に現地法人を持つ電子部品を扱う大阪市内の商社に転職。念願叶い、北京に渡ったのは2019年10月だ。

「中国の旧正月である春節(20年は1月25日)の大型連休前に帰国しましたが、新型コロナの感染が広がり、北京に戻れなくなりました」

 染谷さんは東京の実家からリモートワークで仕事を続けたが、思うように進まず、苛立ちを感じていた。日本でも感染が拡大するなか、里帰り出産で高知県土佐清水市の実家に居を移していた妻が20年2月に出産した。

 染谷さんは今後を考えた。

「しばらくコロナが収束することはないだろう。これまでは仕事ばかりの人生でしたが、自然豊かな地域で子どもを育てたいと考えるようになりました。土佐清水市には何度となく足を運んでおり、最高の環境だと思いました」

 だけど、どうやって──。

■隊員の6割はその後も定住 政府は今後も増やす方針

 人口約1万3千人の土佐清水市は、人口の約50%が65歳以上の高齢者で、主要産業である漁業の衰退が進む。妻の実家の近くに宗田節の製造工場があったことは覚えているが、簡単に仕事が見つかるとは思えなかった。

 そんなとき、妻から連絡があった。

「土佐清水市が地域おこし協力隊を募集しているよ」

 職務内容は、土佐清水市への移住促進業務だった。染谷さんは振り返る。

「協力隊のことはまったく知りませんでした。民間企業で利益追求型の仕事ばかりをしてきたので、何か人のためになる仕事は魅力的に思えました」

 協力隊とは何なのか。

 09年、人口減少や高齢化が著しい地方の人材確保と都市部から地方への人の流入を目的に、総務省が創設した制度だ。後者の目的のため、協力隊の応募は3大都市圏や政令指定都市の居住者に限られる。協力隊員は年々増加し、19年度までに任期を終えた協力隊員は4848人に上る。男性が過半の6割を占め、約7割は20~30代で、40代も約2割いる。

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