平成の30年間、羽生は常に超一流であり続けた。とはいえ、将棋界の層は厚く、ライバルたちもみな強かった。長いキャリアの途中では、何度か浮き沈みも経験した。

 04年には同年齢の森内俊之などに圧倒され、王座一冠にまで追い込まれた。08年、初代永世竜王を争う七番勝負で、一回り以上後進の渡辺明を相手に将棋史上初となる3連勝4連敗を喫するという挫折も味わった。

「天才羽生もついに衰えたか」

 そんな声が聞かれたのは、一度や二度ではない。常人離れした羽生の実績を基準とすれば、羽生は少し負けただけで「衰えた」と言われた。

 何度かの逆境を迎えながらも、羽生はそのたびに華麗な復活を遂げてきた。そんな羽生だからこそ、18年、竜王位を失って27年ぶりに無冠になったときも、復活は時間の問題と思われていた。しかし今回は思った以上に、その道は険しかったのかもしれない。ほとんどの棋士は20代から30代にかけて、キャリアのピークを迎える。9月27日の誕生日で50歳となった羽生も人の子。体力など、年齢的な衰えとは決して無縁ではないだろう。

 羽生がタイトル戦から遠ざかる間には超新星・藤井聡太の台頭があった。羽生と藤井は今年2020年、王位戦リーグで対戦した。結果は堂々たる内容で藤井の勝ち。この星は大きな意味を持ち、終わってみればリーグ成績は藤井5勝0敗、羽生4勝1敗。藤井は王位獲得まで一気に駆け上がっていった。

■「好調」ではなく「順調」

 羽生が弱くなったとは思えない。現に多くの棋戦でコンスタントに勝利をあげ続けている。一流棋士の証明でもある順位戦A級の地位も維持している。しかしタイトルや棋戦優勝からは遠ざかった。そして藤井ら新世代が台頭してくる。もしかしたら今度こそ、復活は厳しいのか。次第にそうも思われ始めていた。そうした中の「復活劇」だ。

 元名人の升田幸三は勝っている時に「好調」と言われると、聞きとがめて訂正した。いわく、好調ではなく順調であると。豪放磊落な升田はそんなことを言い続けて、ファンから喝采を浴びた。謙虚な羽生はそんなことは決して口にしない。それでも羽生が現在勝っているのは、もしかしたら「順調」に戻っただけなのかもしれない。(将棋ライター・松本博文)

AERA 2020年10月5日号より抜粋

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松本博文

松本博文

フリーの将棋ライター。東京大学将棋部OB。主な著書に『藤井聡太 天才はいかに生まれたか』(NHK出版新書)、『棋承転結』(朝日新聞出版)など。

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