まず文化祭。「クラスごとに演劇をする」という枠組みが決められたうえでそのなかで生徒たちが主体的に取り組むケースから、表現したいことがないのなら展示活動に一切関わらない自由も認められているケースまで、幅がある。わかりやすくするために極端な言い方をすれば、前者はある意味全体主義的であり、後者は個人主義的な校風を表す。

 体育祭ではどうか。「運動会」はもともと行事自体が全体主義的な思想を帯びている。だから、根底に個人主義的な校風をもつ学校では、運動会が盛り上がりにくい。そのような学校では、運動会そのものを実施せず、代わりに球技大会などのレクリエーション的イベントを行う場合も多い。あるいは「体育祭」と銘打ち、騎馬戦や綱引きだけでなく、サッカーや柔道などのスポーツ競技をオリンピック形式で競う学校もある。

 つまり文化祭への参加は自由でレクリエーション的要素が強い体育祭を行う学校は個人主義的校風であると考えられる。逆に、文化祭での展示参加が義務で勝負にこだわる運動会を行っている学校には全体主義的な側面がある。文化祭は自由なのに運動会はカッチリ行う学校はメリハリ型と言うことができる。

 文化祭や体育祭を直接見ることはできなくても、それぞれのイベントが例年どのように運営されているかを学校に聞くことは可能だ。そこから多少なりとも学校の日常の空気感をうかがい知ることはできるはずだ。

 ちなみにこれまでの取材経験上、学校の雰囲気を最も象徴的に表現するイベントは、文化祭でも体育祭でもなく卒業式である。宗教行事のような卒業式もあれば、仮装大会のような卒業式もある。厳かさとおふざけのバランスが、その学校の空気感を雄弁に物語る。本来は部外者に見せる式典ではないが、中学受験生たちのためを思うなら、卒業式のハイライトの動画を各学校のホームページ上で配信してもいいのではないだろうか。(教育ジャーナリスト・おおたとしまさ)

AERA 2020年7月6日号より抜粋