だけれどもどこか抜けていて、クールなはずなのにダメ亭主のことが大好きなのがダダ洩れ……。今でいうツンデレっぽさがとっても魅力的だ。三三師匠が演じる女子は手の表情が本当に艶めかしく、師匠自身が細身というのもあってえもいわれぬ色気が漂っている。

 自然、女友達と行った落語の帰り道は、こんな感じの会話になる。

「一之輔師匠の女子って、なんであんなにイイ女なんだ」
「三三師匠の女子はA型っぽいけど、白酒師匠の演じる女子はB型っぽくない?」
「じゃあ、一之輔師匠はO型? AB型どこいったの? なんでも血液型でくくらないで!」
「白酒師匠のウザイ女子の感じ、アンタにそっくりよ」
「それ言うならアンタは三三師匠の演じる神経質そうな女将さんにそっくりだよ!」

 揚げ句の果てには、

「男性の師匠方は自分の好みの女性、理想の女性を演じているのかなぁ」
「身近な女性、自分の恋人や奥さんに寄せているんじゃ」
「昔の女が、初恋の人が、あんな感じだったんじゃない?」
「男は過去の恋を『名前を付けて保存』してるって言うからねぇ。恋愛フォルダからそれを取り出しているのかね……」

 と、完全なる余計なお世話で盛り上がってしまうのだ。

 自分の抱いたイメージが一緒に聴きに行った人と違うこともよくある。そもそもおさきは美人じゃないという説もあるし。でも、幕が下りた後にこうしてお互いの妄想を語り合えるのも落語の楽しさの一つだ。

 身体一つで高座に上がり、扇子と手拭いだけを相棒に、現実世界に生きる聴衆の頭の中に妄想世界を浮かび上がらせる噺家たち。実際にそこにいるのはたった一人の男性だったり女性だったりするはずなのに、私たちの頭の中には江戸の街が広がり、酒飲みの亭主や髪結いや町娘やさんやご隠居や若旦那たちが生き生きと跳びはねる。

 中でも、落語の世界に現れる女性たちは一様に、皆とっても人間くさい。喜びも悲しみも怒りも、恨みつらみ妬みも、全て明け透けに見せてくれる。感情を表に出し難くなっている、少し窮屈で生きづらい現代に生きる私たちにとって、それがとっても眩しく聴こえる。

「落語っておもしろそうではあるけれど、何か取っつきにくい」

 そう感じている人も多いはず。最初は何を聴けばいい? 誰を見ればいい? どんな風に楽しめばいい? と、ハテナが先に湧いてしまうこともあるだろう。でも言わせてほしい。

「いいから一回聴いてみて!」

 もし寄席や独演会に行く機会があるならぜひ。身近にチャンスがなければ、YouTubeだってなんだって構わない。目をつむって、一度この「妄想の世界」に身を委ねてみませんか。(ライター・伊藤彩子)

AERA 2020年3月23日号