経済学者で同志社大学大学院教授の浜矩子さんの「AERA」巻頭エッセイ「eyes」をお届けします。時事問題に、経済学的視点で切り込みます。
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中央銀行通貨の電子化。この話題がメディアを賑わしている。紙幣や硬貨はもう発行しない。紙や金属を使った物理的な現金は消える。その代わりに、電子暗号化された現金がネット空間の中を飛び交うことになる。するとどうなるか。
このテーマについて、世界の中銀6行と国際決済銀行(BIS)が共同研究に踏み切った。中銀6行は、日銀、欧州中銀(ECB)、カナダ銀行、イングランド銀行、スウェーデンのリクスバンク、スイス国立銀行である。アメリカの連邦準備制度理事会(FRB)も、単独で研究を進める意向を表明した。中国人民銀行は、すでにデジタル人民元の発行準備を進めている。
このにわかデジタル中銀通貨騒動をどうみるか。もっとも、この話、実はさほどにわかでもない。一昨年辺りから、BISが音頭を取る形で多面的研究が重ねられてきてはいたのである。確か、本欄でも取り上げたことがあったはずだ。ただ、これまでは、かなりマニアックな領域に止まる思考実験の観があった。
それが、ここに来てトップニュースに躍り出ているのは、どうも中銀たちの焦りの表れのようにみえる。焦りの要因は二つある。その一が前出の中国の動きだ。デジタル人民元の導入に向けて、中国がスタートダッシュ体制に入ってしまった。この衝撃はそれなりに大きいだろう。
その二が、巨大IT企業のフェイスブックによる「リブラ」なる電子通貨の発行宣言だ。全くの一民間企業が、国境をまたぐ広大な電子決済網を形成してしまうかもしれない。そうなると、通貨と金融の世界に対して、中央銀行たちは制御力を失うことになる。これはいかんというので、中銀たちも突っ走り始めたというわけだ。
筆者は現金のオール電子化には大いに懐疑的だ。通貨と金融の世界は、やはり、人間の目に見える領域にとどめておくべきだと思う。今の騒ぎをみていて、シェークスピア大先生の筆になる次の一節を思い出した。「間抜けが語る物語。響きと怒りに満ちてはいるが、何の意味もありはしない」(『マクベス』5幕5場。翻訳筆者)。目下の現金電子化騒動には、こんな具合の空騒ぎに終わってほしい。
※AERA 2020年2月17日号