そう言うのは、長崎平和推進協会写真資料調査部会長の松田斉さん。同部会は、長崎原爆に関する膨大な写真資料を分析して事実を確定、記録している。4年前の「被爆70年」に際し、米国国立公文書館収蔵の長崎の写真をすべてデジタルスキャンして持ち帰り、分析。徹底した事実主義を貫いてきた。その部会にして、少年の写真を特定できないのだ。

 被爆者の訴訟支援を行っている長崎県保険医協会会長の本田孝也医師は今年6月から調査を開始。少年が暮らしていたと思われる地域の住民に写真を見せると、複数の人が「見覚えがある」と答えたが、特定できる材料はなかった。撮影時とは左右が反転している可能性が高いことも、前長崎市課長の調査で最近分かった。通常左胸に縫い付ける名札が右胸にあったのだ。

 そんな中、ローマ教皇の指示でカードになり、世界に知られたことで、写真が独り歩きしている点は否めない。松田さんは、誰もが感動する写真の訴求力を認めつつも、事実が不明なまま「意味」だけが大きくなっていくことに「正直当惑している」と苦笑する。

「写っているものは検討し尽くされている。今回の教皇来日を機に新しい情報が出てこなければ、撮影場所が長崎の可能性はさらに遠のくと思います」

(ノンフィクション作家・高瀬毅)

AERA 2019年12月9日号