東京でのデモの写真。母親におぶさる子どもの服がめくれて背中が丸出しになった後ろ姿から表情が見えてくる。

 小柴さんが水俣を撮り始めたのは1974年、26歳の時だ。歳月を経て4冊目の写真集となった本書は、メモリアルデーを「◯◯周年」スケジュール行事として消化する風潮に「待った」をかける写真の力を見せてくれる。(ライター・田沢竜次)

■書店員さんオススメの一冊
『海を撃つ 福島・広島・ベラルーシにて』は、福島県在住の著者が「原発事故後の回復とは何か」を問うた一冊だ。東京堂書店の竹田学さんは、同著について次のように寄せる。

*  *  *

 2011年3月15日。各地の放射線量が報じられはじめ、福島県いわき市在住の著者は避難を決める。

 事故後の混乱の中、放射能に関する講演や勉強会に参加し放射線量の測定を行っていた著者は、国際放射線防護委員会(ICRP)の原発事故後対応のための勧告を読み、初めて希望を見いだす。そこには専門家の解説にはない、原発被災地の人びとの元の暮らしを取り戻したいという「望み」に寄り添う意思があったからだ。

 広島出身の著者は原爆に関する記憶を甦らせ、ベラルーシなどを訪れチェルノブイリ事故後の人びとの苦悩と苦闘をたどる。ICRPのジャック・ロシャール氏の協力も得て放射線防護の活動を企画し、今も放射線の測定を続ける。原発事故後の回復とは何か。忘却に抗して本書は問い続ける。

AERA 2019年3月18日号