通報者が“予感”を高めた

 コンラッド・アンカー氏の通報であることも、植村さんではないかという“予感”をより強くした。彼は1999年、エベレストで伝説の登山家ジョージ・マロリーの遺体を発見している。1924年の遭難以来、実に75年ぶりのことで、世界を驚かせた。

「コンラッドなら、植村さんの遺体を見つけてもおかしくないと思いました」(花谷さん)

 花谷さんも谷口さんも、植村さんの生きざまに大きな影響を受けた世代。花谷さんは、小学生のころから植村さんの著書を読み漁っていた。谷口さんも生前、植村さんへの憧れを何度も明かしている。花谷さんは言う。

「すごいことになったと思いましたよ。聞けば聞くほど、植村さんだとしか思えない。けいちゃん(谷口さん)とふたりで胸を高鳴らせました。本人やご遺族にとって、見つかることが必ずしも幸せかどうかはわかりません。でも、心震える瞬間だったのは確かです」

 そしてまた、現地のレンジャーたちにとっても植村直己さんは特別な存在だった。史上初のデナリ冬季単独登頂という功績と親しみやすい人柄は、今でも語り継がれている。

「ナオミかもしれないという情報にはとても興奮しました」(モーリン広報官)

 レンジャーステーションは騒然とし、レンジャーたちが捜索の計画を立て始めたという。

 花谷さんと谷口さんはこのとき、滞在期間を終えてタルキートナを離れたために捜索の結果は耳にできなかった。そしてもちろん、植村さんの遺体が発見されたというニュースも流れていない。捜索は空振りだったのだろうか。

 先出のレンジャー、デビット・ウェーバーさんは実際に捜索に出向いたひとりだ。

「通報から場所がある程度特定でき、捜索に向かいました。休憩場所としても利用される地点で、雪を掘り起こすこともできたんです。可能性があるポイントを徹底的に探しました」

 その結果、複数のパーティが放置したと思われるごみのほか、いくつかの登山装備を見つけた。

「遺体は見つけられませんでした。彼らが髪の毛だと思ったのは、どうやらブーツやフードの防寒に使う動物の毛だったようです。これは植村さんのものだという特定も、逆に否定もできていません」

 消息を絶って35年。花谷さんも言うように、本人や遺族にとって遺体が見つかることが必ずしもいいことかどうかはわからない。行方不明であるという事実が植村さんをより伝説的な存在にした面もある。それでも、植村さんはどこにいるのか。そんな疑問に想像を掻き立てられる人は多い。

 植村さんは多くの人の心に足跡を残しながら、デナリのどこかに眠っている。(編集部・川口穣)

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川口穣

川口穣

ノンフィクションライター、AERA記者。著書『防災アプリ特務機関NERV 最強の災害情報インフラをつくったホワイトハッカーの10年』(平凡社)で第21回新潮ドキュメント賞候補。宮城県石巻市の災害公営住宅向け無料情報紙「石巻復興きずな新聞」副編集長も務める。

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