「けっして神様ではない」松下幸之助の「最後の弟子」が見た苦しみと悩み

大竹哲也AERA
相談役に退いた松下幸之助さん(右)が1978年5月にビデオ事業部の岡山工場を視察。事業部長の谷井昭雄さん(左)が案内した(写真:パナソニック提供)
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相談役に退いた松下幸之助さん(右)が...

 パナソニックの谷井昭雄・元社長が、「経営の神様」と称された松下幸之助に仕えた33年間の知られざるエピソードを語る。

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 事業部長から突然呼ばれました。「会長に経営報告するから、一緒に来い」。入社5年目、33歳の若造がテープレコーダーの試作品を持ってお供します。松下電器産業がソニーさんから10年遅れで事業化する。担当は新米のわたし。見たことも触ったこともなく苦労しましたが、なんとか日の目を見つつありました。1961年、松下幸之助さんが社長を辞めた年のことです。

 経営報告は販売や利益の説明よりも商品を見せるのが先です。商品に関心が深く、つねに商品を通じて経営を見る。これが松下の伝統。しかし、いい商品よりも大切なものがあったのです。わたしの実演や事業部長の報告が一段落すると、幸之助さんが言いました。「うちの工場は品質管理の勉強をして、一生懸命がんばってくれる。だけど、もっと大事なことがある。なんやと思う?」。わたしの答えを待たず、「それは人質(じんしつ)管理や」。

 人がしっかりせんと、いい品質管理ができない。「松下電器は人をつくるところです。併せて電気器具もつくっております」。幸之助さんの有名な言葉につながるのです。経営で重要と考える要素を相手と場にふさわしい言い方で直接教える。意識的な行動ではなく人柄でしょうね。印象的な初対面でした。
 かように「経営の神様」でしたが、けっして神様ではなかった。平凡な人以上に悩み苦しんでいたと思います。横にいて痛切に感じたのは70年代後半、ビデオの規格をめぐる決断です。

 ソニーのベータマックスが先行。松下は子会社の日本ビクターが開発したVHSを採り入れ、発売に向けて進んでいました。そこにソニー創業者の一人、盛田昭夫さんが本社を訪ねてこられ、「ベータに協調し、規格の一本化に賛同を」と訴えました。

 幸之助さんはビデオ事業部長として岡山の工場にいたわたしに少なくとも2回、電話で「どう思う?」と意見を求めました。販売会社にも東京・秋葉原の電気街にも聞いて回ったでしょう。利用者も規格はひとつのほうがいい。苦慮されたはずです。

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