「性教育のブームが起きたり、反対にバッシングが起こったりして、そのたびに盛り上がりや停滞を繰り返しています。今は00年代前半から始まった性教育バッシングが尾を引き、長い停滞期に入っているところですね」(同)

 昭和の時代から、てっきり前進あるのみかと思っていた学校の性教育。でも実際は前進と後退を繰り返し、教科書で一時は解禁されたものの、その後使われなくなった用語なども少なくないという。「ペニス」や「ワギナ(ヴァギナ)」、そして「性交」などの言葉もそれだ。

 まずはここでざっと、日本の性教育の歴史をおさらいしておこう。茂木の著書『性教育の歴史を尋ねる~戦前編~』によると、「性教育」なる用語が使われるようになったのは大正時代以降。それ以前の明治期は、代わりに「性育」とか「色情教育」「性欲教育」「性的教育」など、いま見るとかえってなまめかしい言葉が、性教育の意味で使われていたらしい。

「戦後も70年頃まで、性教育とほぼ同義の『純潔教育』という言葉がよく使われていました。私が学生だった20年ほど前まで、性教育と言わず、純潔教育と言う年配の研究者もけっこういましたね」

 そんな純潔教育が花盛りだった終戦直後、GHQの指導などで、性教育ブームの第一波がやってくる。49年、中学の保健体育に、性に関する内容をまとめた「成熟期への到達」という単元が登場したのだ。

 成熟期に起こる身体の変化や受精についてなどを丁寧に説明した厚めの資料も作られ、ここに日本の性教育が花開くと思われた。ところが、だ。学校の現場ではなかなか定着せず、52年には「成熟期への到達」の内容も簡略化。日本は早くも、性教育の低迷期に入っていった。

「次に本格的な性教育ブームが来るのは70年代前半です。女性運動の高まりなどを背景に、科学に基づく性教育ブームが始まった。高校の保健体育の教科書に、避妊が登場するのもこの頃でした」

 80年代後半になると、今度はHIVの感染拡大をきっかけに、性教育の重要性が叫ばれるように。続いて空前の性教育ブームが起こり、「性教育元年」の異名を持つ92年がやってくる。小学校の理科でも生命の誕生を学ぶようになり、小学校で初めて保健の教科書が使われ始めた。

 前出のペニス、ワギナなどの用語が教科書に見られるようになるのも「元年」の前後。ところが00年以降になると、今度は過熱した性教育ブームに逆風が吹き始める。ピルの使い方などを紹介した中学生向けの教材「思春期のためのラブ&ボディBOOK」や、東京都立の養護学校(当時)でおこなわれた人形を使った性教育の授業が国会や都議会でやり玉に。

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