2位の「『はやとの風』臨時列車化」は、合理化の象徴だ。

「はやとの風」は鹿児島中央─吉松間を結ぶ特急として04年、九州新幹線開業に合わせデビューした観光特急。これまで毎日運転されてきたが、今度のダイヤ改正から土日祝や夏休みなど、利用客の多い日を想定した運転に変更された。

 実は、「はやとの風」を運行する肥薩線では、普通列車の運行の見直しも進められた。例えば八代駅(本県八代市)の下り電車では、普通列車は6時57分発の次は12時49分発までない。ダイヤ改正までは、この間に8時10分発と11時02分発の2本あったので大幅削減だ。こうした調整は肥薩線に限らず、吉都(きっと)線や日豊(にっぽう)線、香椎線など、JR九州の各路線で行われた。

「同じJRグループでも利便性向上を図るJR東日本などと比べ、これまで以上に明暗の差がくっきりと出てきた」(松本さん)

 先に紹介した115系の引退同様、今年のダイヤ改正で多くの鉄道ファンが名残を惜しんだのが、「『L(エル)特急』の名称廃止」(4位)と、「羽帯(はおび)駅廃止」(10位)だろう。

 L特急は、国鉄時代の1972年10月に登場。当時の特急は全席指定が一般的だったがその中で、▽自由席がある▽毎時0分・30分など等間隔に発車する──など一定条件を満たす特急を「L特急」と呼んだ。「数自慢・カッキリ発車・自由席」が合言葉で、全国にL特急網が拡大。しかし、特急の増発が進んだことでわざわざ「L特急」として区分けする意味がなくなり、02年12月からJR東日本で使用されなくなったのを皮切りに、各社でも呼称廃止が続いた。そして今年、最後まで残っていたJR東海の「(ワイドビュー)しなの」「(ワイドビュー)ひだ」と「しらさぎ」(JR西日本と運行)の3列車から「L特急」の呼称がなくなり、単なる「特急」表記になった。

 一方の羽帯駅は、北海道清水町にあったJR根室線の単式ホームの無人駅。58年に沿線住民の要望で開業し通勤・通学の利用客でにぎわったが、近年は利用者が激減。「1日の平均利用者数が1人以下」と、北海道でも有数の秘境駅となっていた。最終営業日の3月16日は地元の有志たちが「さよならイベント」を開催。道外からも100余人が集まり、夕刻に羽帯駅を出発した上下の列車を見送った。

 主催した清水町観光協会事務局員の菅原遼さん(31)は言う。

「60年の歴史に幕を下ろした羽帯駅の最後の姿をお見送りできました」

 鉄道好きで知られる放送大学教授の原武史さん(日本政治思想史)は、国鉄から数多くのことを教わったと言う。

「JRは数値化することがサービスだと思っているところがありますが、数値化できないところにこそ、実は鉄道の持っている一番の価値があると思っています」

 例えば、当時の国鉄車両はすべてボックスシートだった。すると車内が一つのコミュニケーション空間になり、向かい合った人と会話をして多くのことを学び、いい社会勉強にもなったという。

「歴史とは丸暗記ではないと見いだすことができたのは大きかった。そういう意味で、国鉄には非常に感謝しています」

(編集部・野村昌二)

AERA 2018年5月21日号より抜粋

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野村昌二

野村昌二

ニュース週刊誌『AERA』記者。格差、貧困、マイノリティの問題を中心に、ときどきサブカルなども書いています。著書に『ぼくたちクルド人』。大切にしたのは、人が幸せに生きる権利。

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