きむら・くみ/1976年生まれ。小学6年から高校卒業まで仙台で過ごす。「月食の日」と本作で2度芥川賞候補。著作に『夜の隅のアトリエ』『まっぷたつの先生』など(撮影/写真部・小山幸佑)
きむら・くみ/1976年生まれ。小学6年から高校卒業まで仙台で過ごす。「月食の日」と本作で2度芥川賞候補。著作に『夜の隅のアトリエ』『まっぷたつの先生』など(撮影/写真部・小山幸佑)

 今年2月に上梓された『雪子さんの足音』は、『月食の日』などで知られる木村紅美さんの最新作だ。芥川賞の候補作ともなった同作は、どのような背景で誕生したのか。

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 この世に生まれて20年経てば20歳になり、また同じ時間が流れれば40歳になる。あたりまえの計算だが、見る風景は大きく違う。『雪子さんの足音』は、冒頭と最後に40歳を、大部分を占める中盤に20歳を置くことで、時間というものがもたらす人の世の痛みを描く。「雪子さん」が死後1週間経って発見された時に90歳だったことを、「薫」は40歳になって、出張先のホテルで手にした新聞によって知る。

「2015年に東京都板橋区で、80〜90代の3姉妹が、熱中症のため家の中で亡くなっていた事件がありました。東京大空襲の中を生き延びた経験をお持ちの方々で、そんな皆さんがこの時代に熱中症で亡くなった事実が悲しく、ずっと忘れられませんでした」

 東京の高円寺に月光荘というアパートがあり、雪子さんは大家さん。大学生で20歳の薫(男)は下宿人で、下宿仲間には同い年のOL「小野田さん」もいる。ひとり暮らしの雪子さんは居間を「サロン」と名付けて開放するほか、手料理を部屋まで運んだり、おこづかいまでくれて、やり過ぎの人である。薫は雪子さんをうとましく思いつつ食事やお金にありつくことも多く、矜持も生活も崩壊してしまう……。

「いつか下宿の物語を書きたいと思っていました。そこに先の熱中症報道の印象があり、また私がかつて祖母から聞いた“空襲の時は、爆撃機が急降下してきてパイロットと目が合った”という体験談なども重なって、飢えのつらい戦時下を生きた人と、そんな時代のことをまるで知らない若者の交錯、すれ違いを書いてみたくなったんです」

 木村さんはしかし、雪子さんの若い日々も死の間際もドラマにせず、無為に身を委ねる大学生との付かず離れずの時間のほうばかりを書いた。

「実家が盛岡で、仙台も縁が深く、東日本大震災はショックでした。作家として“震災をテーマにしなくては”とあせりましたが、その頃に書いたものは全然ダメでしたね。宮沢賢治なんて短い生涯に津波も飢饉も起きていて、でも直接そのことは書かない。いくつかの作品では匂わせるところはあるけれど、より普遍的な文学に昇華させています。賢治と比べるのは不遜ですが、私も割り切れない、はみ出るような感情が書けたらといつも思っています」

 片付いた感情は都合よく記憶の箱から取り出せる。しかしそれは小説ではない。だから木村さんが書いているのは、まぎれもなく小説なのだ。(ライター・北條一浩)

AERA 2018年3月26日号