時が経ち、忘れた頃にシレッと出すとは何事だ。早期に津波対策を講じる好機がありながら、あろうことか東京電力は拒否。決定的な証拠が出てきた。
1月11日、東京電力福島第一原発事故の被災者らが起こした損害賠償を求めている訴訟で、被告の国が千葉地裁に、ある電子メールを提出した。そこにはこんな“発言”が記されている。
「福島沖も津波を計算するべきだ」(原子力安全・保安院の担当者)
「40分間くらい抵抗した」(東電社員)
問題なのは時期だ。メールは福島第一原発事故の9年前の2002年8月のもの。保安院の要請を東電が拒み、津波対策が実施されなかった様子がよく伝わってくる。これまで東電は津波対策の検討を始めたのは07年と説明していたはず。ところが、さらに5年も前に対策に着手する好機をつぶしていたというわけだ。
提出されたメールは、02年8月5日午後7時20分に、津波想定を担当する東電土木調査グループの社員が社内関係者に向けて送ったものなど、計6通。このメールの5日前、政府の地震調査研究推進本部(地震本部)は、福島沖でも明治三陸津波(死者2万1959人)と同様なマグニチュード8.2前後の「津波地震」が発生する可能性があるとの予測を発表。過去400年分の地震を20人以上の専門家が分析した結果だ。
この大津波に原発は耐えられるのか。すぐに保安院・原子力発電安全審査課の川原修司耐震班長ら担当者4人は、東電に説明を求めた。その時の状況を報告したのが今回のメールだ。
詳しい内容はこうだ。8月5日、東北電力・女川原発の担当者が、明治三陸津波と同様の津波が三陸沖よりさらに南で発生した想定を、保安院に説明。保安院は、同様の計算を東電にも求めた。これに対し、東電は過去100年分のデータを分析した論文一つをもとに、三陸沖より南では津波地震は起きないと反論。「40分くらい抵抗」「結果的に計算するとはなっていない」と東電社員は書いている。