だが保安院も地震本部に問い合わせをせず、東電の説明だけで判断し、東電への計算要求を見送り。当時、保安院・原子力発電安全審査課長だった平野正樹・中国電力取締役は「担当からそのような話を聞いた事実はなく、承知していない」と取材に対して回答。保安院のどのレベルの意思決定だったかは不明だ。

 だが東電は、08年3月になってようやく津波地震を福島沖で想定して計算。福島第一原発で15.7メートルになると分かった、とした。つまり対応を先に引き延ばしている間に、事故は発生した。

 前出の川原氏は、メールと一緒に提出した陳述書で、「当時は(福島沖の津波地震を想定しない)土木学会の手法で想定することになっていた」とし、東電の計算を見送った保安院の判断に誤りはなかった、とする。

 ところが実際には、保安院は土木学会の手法が正しいかどうか、チェックの先延ばしをすることを02年2月に決定済み。そこに「土木学会が正しく地震本部は不確実」と切り捨てる根拠はない。このチェックは結局、原発事故まで実施していなかった。

 保安院の要請を拒否した事実を非公表にしていた点について、東電は「訴訟に関わる事項なので回答を差し控える」とコメント。また国側も、いつこの事実を把握したか、なぜ今ごろメールを提出したかが不明だ。事故原因の根幹に関わる事実を、事故から7年も隠蔽した東電と国。事故調査や捜査の信頼性自体が、大きく揺らいでいる。(ジャーナリスト・添田孝史)

AERA 2018年2月5日号