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玄侑宗久に聞く現代の“死に方” 商品化する「宗教」と個人化する「死」とは

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AERA#終活

玄侑宗久(げんゆう・そうきゅう)/1956年生まれ。慶應大学卒業後、様々な仕事を経て僧侶に。2001年に「中陰の花」で芥川賞受賞(撮影/白岩大和)

玄侑宗久(げんゆう・そうきゅう)/1956年生まれ。慶應大学卒業後、様々な仕事を経て僧侶に。2001年に「中陰の花」で芥川賞受賞(撮影/白岩大和)

 私の所属する禅宗は、「死後のことはわからない」という立場を貫きます。いわば「わからないまま進む」のです。「今ここ」に徹し、「わからないまま進む」というのは生き方でもあります。私はそれが勇気ある豊かな生き方だと思っていますが、あまりにも先のことを決めすぎる現代人には刺激が強すぎるでしょうか。

 死への不安はなくならないでしょうし、誰だって死ぬのは嫌だと思います。最近はその観点から、医療関係者の間でも「お迎え現象」が見直されています。キューブラー・ロスも注目した現象で、すでに亡くなった人が臨死者の枕辺に立つ、というものですが、「わからない」世界に旅立つには、すでにそこをよく知っている人に案内してもらうに限ります。最近亡くなった檀家さんも、食道がんに苦しんでいましたが、両親が揃ってお迎えに来た、と言って急に安らかな顔に変わっていきました。自宅で亡くなるとお迎えが来やすいとか、「お迎え」が起こりやすい状況を研究する人々もいるようですが、案外その辺に死への不安や恐怖を克服する鍵もあるのではないでしょうか。死者を迎え入れる共同体に代わる何かを、人は求めているのでしょうね。

AERA 2017年11月20日号


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