「ある末期がんの患者さんは、『死を間際にして、言わずに死んではいけないと思った』と、ひた隠しにしていた事実を私に打ち明けてくださいました。戦争を経験されたその患者さんはお孫さんや家族に『自分は人を殺していない』と話していたようです。ところが実際には『何人も殺めた』と。いわば懺悔です。患者さんの気持ちが晴れたのかは私にはわかりません。しかし、抱えきれないほどの苦しみを受け入れ、寄り添うことで、患者さんたちの不安や苦しみを少しでも和らげていきたい」

 終末医療の現場で患者が訴えることは筆舌に尽くしがたい。時には「お祈りで私の病気を治してください」と臨床宗教師に訴える患者もいる。逆に、「早く楽になりたい」と訴える患者もいるという。

 難しいのは信仰心が強すぎる宗教者には不向きな点だ。東北地方のお寺の住職は「ある臨床宗教師は熱心に法話をされるので、それをありがたいと喜ばれる患者さんがいる一方で、『自分の話を聞いてくれない』と不満を漏らす患者さんもいる」と明かす。信仰心が強すぎるがゆえに、患者の苦しみを解消できないもどかしさに頭を悩ます臨床宗教師も少なくないという。

 必要とされるときに、満足に対応できないジレンマもある。

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