(1)は社会主義といっても西洋流とは違う。天皇の慈愛のもとでこそ日本人は仲良く平等になれると考える。(2)は日本だけだと西洋を跳ね返せないので、立場や思想の近いアジアの国々と連帯しようとする。そこには天皇中心の日本がアジアの盟主という、この国の都合も入ります。(3)は、日本人のコアは米作りなのに「西洋化=工業化・都市化」がそれを破壊したと思って怒る。農耕儀礼の祭司としての天皇への信仰もセットになります。三つとも天皇が大事なんです。

 それは仏教系の右の思想も同じです。たとえば石原莞爾や宮沢賢治が信仰した国柱会だと「法華経の教えの意義を解き明かしたのは日蓮で、日蓮の出た日本は特別な国で、天皇が法華経の信者になってこそ日本は世界に法華経の理想を実現させられる」と思想を展開したのです。

 そんな右翼は、国が日本の特殊性を強調すれば体制的になるし、国が西洋近代流の普遍を目指せば反体制的になります。とにかく右翼は西洋流の個人主義や自由主義が嫌い。多少不自由しても日本人の結束を守るべきと考える。少し前までは別に右翼でなくても現実に農村社会が機能していて、結束の価値を説いていた。ところがそれはもう壊れてしまった。それでも政治が日本人の結束を謳いたいとなると、頼れるものは日本会議的なもの、天皇を崇敬する神道や仏教の宗教的右派勢力しか残っていない。

 今、日本会議的なものが日本を支配していると思っている人もいるかもしれません。が、彼らにとってはまだまだこれからです。西洋近代の価値観をこの国から追い出さないと枕を高くして眠れない。それが本当の日本の右翼なのですから。(談)

AERA 2017年5月1-8日合併号