この墨田区に代表されるように、木造住宅が密集する住宅地でかつ高齢化も進む地域は、都内の各地にある。杉並区や世田谷区など、西部の環状7号線と8号線の間を中心とする地域や、東部の荒川沿いの地域で、火災などで住宅が全壊する危険性が高い。これらの地域では、住民の協力なしでは、火災被害を減らすことは不可能なのだ。

 関東大震災では、旧東京市だけでも約130カ所から出火し46時間にわたって燃え続けた。死者・行方不明者約10万5千人のうち約9割は火災が原因だった。「関東大震災からもっと学ぶべきだ」と、名古屋大学の武村雅之教授は言う。

 たとえば避難のあり方だ。

 墨田区の旧陸軍被服廠跡では火災で約3万8千人が亡くなった。一方、約6万人の人が逃げ込んでいた横浜市の横浜公園では、被服廠跡と同じように四方を火災に囲まれ火災旋風にも襲われたが、亡くなった人は少なかった。

 被服廠跡は、避難者たちが持ち込んだ家財道具が山積みで、これらや避難者自身の衣服に着火し、急速に延焼を引き起こした可能性が指摘されている。横浜公園は震源に近く、建物の全壊が多くて火の回りが早かったため、家財道具を持ち出す余裕がなかった。災害時に大八車で家財道具を持ち出すことは江戸時代に何度も禁じられていたのに、被服廠跡では教訓が生かされず、被害が拡大した。

●規模に比して被害拡大

 ただ、東京の状況は関東大震災当時から様変わりしている。東京23区の人口は3倍以上に増えた。火災危険度の高い木造住宅密集地域は戦後に急激に増え、JR山手線外周を中心に160平方キロ、関東大震災の延焼面積の4倍以上もある。

 関東大震災の当時、自動車は全国で1万数千台。今や23区の登録台数だけで200万台を超えている。渋滞で道路をふさぐ自動車や、避難のために道路にあふれかえる人は、消火活動を妨げ延焼を広げる可能性がある。

 起こる確率が高いと考えられているM7級の首都直下地震は、東日本大震災の時よりエネルギーは1千分の1程度、関東大震災の30分の1程度のものにすぎない。しかし人口が密集する首都圏の、都合の悪い場所で断層がずれ動けば、大きな被害をもたらす。地震の規模に比して、被害が大きくなることが予想される首都直下地震。私たちは賢明に被害を減らせるだろうか。(ジャーナリスト・添田孝史)

AERA 2016年9月5日号