「空を見上げれば自分たちが小さな存在だとわかる。この争いの地で星を眺めてほしい。そのためには知識ではなく無私の気持ちが必要。だから瞑想する空間もつくりました」(斑目氏)

 斑目氏は約40年前、電子機器会社を創業。当初は急成長を遂げたが、副作用で資金繰りが苦しくなってきた。5年目にして「受注はあるのですが、支払いに入金がついていかない。金融機関も貸してくれず、ついに資金繰り倒産かと覚悟していたときに、米国で電子メーカーを経営していたユダヤ人が取引したいと言ってきたのです」

●会社救済の恩に4億円

 商談は15万ドル分。斑目氏の会社の製品を気に入ったから、と説明された。斑目氏は思い切って窮状を訴えた。商品を納めてからが普通の入金を、納品前にお願いできないか──。

 納品の3カ月も前に全額が振り込まれ、一息ついた会社は倒産を免れた。会社は98年に手放したが、その売却益が今回の寄付の原資になっている。

「この恩をいつか返そうと思っていたのです」(斑目氏)

 40年以上エルサレムに暮らし、ユダヤ人問題に詳しい建築家の井上文勝氏(72)は、こう話す。

「日本人もユダヤ人も伝統を守り、人の恩を大切にする。センターとチウネ通りはその象徴です。今でも杉原千畝さんを忘れずに行動するユダヤ人や、私財をなげうって貢献する日本人がいることを忘れないでほしい」

(朝日新聞出版・尾木和晴)

AERA  2016年7月4日号