最終目的地である宗谷岬を目指す前泊地、北海道・稚内の港で。広大な北海道の旅は1年がかり。7回にわたって訪問し、季節を満喫した(撮影/たかはしじゅんいち)
最終目的地である宗谷岬を目指す前泊地、北海道・稚内の港で。広大な北海道の旅は1年がかり。7回にわたって訪問し、季節を満喫した(撮影/たかはしじゅんいち)
北海道網走市の道立北方民族博物館で、アイヌ民族の文化に触れる。オリジナリティーある柄や染色、生地などの機能性やファッション性を学んだ(撮影/たかはしじゅんいち)
北海道網走市の道立北方民族博物館で、アイヌ民族の文化に触れる。オリジナリティーある柄や染色、生地などの機能性やファッション性を学んだ(撮影/たかはしじゅんいち)
北海道北見市にある北の大地の水族館を訪問。ここは北海道の川魚だけを集めた別名「山の水族館」。この旅では博物館や水族館も数多く訪問した(撮影/たかはしじゅんいち)
北海道北見市にある北の大地の水族館を訪問。ここは北海道の川魚だけを集めた別名「山の水族館」。この旅では博物館や水族館も数多く訪問した(撮影/たかはしじゅんいち)
ついにたどり着いた宗谷岬は、まさかの猛吹雪。雪を踏みしめ、寒風に耐えながらのフィニッシュとなった。旅の最後の食事は宗谷岬のラーメン(撮影/たかはしじゅんいち)
ついにたどり着いた宗谷岬は、まさかの猛吹雪。雪を踏みしめ、寒風に耐えながらのフィニッシュとなった。旅の最後の食事は宗谷岬のラーメン(撮影/たかはしじゅんいち)

 2009年から13年まで本誌で連載され、その後も続けられていた、元サッカー日本代表・中田英寿の日本を巡る旅。日本の最南端から最北端まで6年半をかけて旅した男の次なる“目的地”は……。

*  *  *

 視界5メートルもないような猛吹雪。6年半におよぶ旅のエンディングでも、その土地“らしさ”に遭遇するあたりは、さすがというべきだろう。

「もう無理! 早く写真撮ろう」

 2015年12月1日。「日本最北端の地」宗谷岬の碑の前に立った中田英寿の叫びも吹雪が消し飛ばす。

●旅はサッカーと同じ

 09年の春に「日本最南端の碑」からスタートした旅の最終目的地がここだ。寒さもあって、訪問は意外とあっさり終了した。

「達成感はそれほどないですね。2年くらい前までは宗谷岬に立つことが目的でしたが、今となってはここも通過点のように思えます。スタートしたときは、とにかく日本全国を巡ることが目標でした。自分が知らない日本という国をもっと勉強したいと思っていました。でも今の僕の目標は、もう未来にある。この旅で出会った素晴らしい人、物、文化を世界に広めていくことを考えています。だからこの旅が終わることも通過点にすぎない。これからも出会いを求めて全国を巡るのは間違いありません。自分がこんなふうになるとは、思ってもいませんでした。8歳でサッカーを始めたとき、プロになるなんて想像していなかったのと同じですね」

 当初は、「ひとつの県で3日もいれば十分」と考え、半年もあれば日本全国を回れると思っていたという。しかし旅先でさまざまな出会いが生まれ、日程は延びていった。彼がこの旅のために費やした日数は、6年半でのべ500日以上。旅で使用した車の総走行距離は、約10万キロ。訪問先は約2千軒、出会った人の数は1万人を軽く超える。

「たくさんの人と会って話していくうちに、物事を見る角度や深さが違ってきました。知識が増えると面白くなるから、自分でも勉強する。勉強すると、人の話がますます面白くなって、どんどんのめり込む。日本酒のことも最初はぜんぜん知りませんでしたからね」

 中田にとって、この旅のいちばん大きな“収穫”は、日本酒との出合いではないだろうか。全国約250の蔵を巡り、酒造りも体験。ついには酒ソムリエの資格を取り、ロンドン五輪やブラジルW杯のときには、海外の人が日本酒を楽しめるバーをオープンしたりした。もはや彼のライフワークのひとつと言っていいだろう。

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