国際サッカー連盟(FIFA)が汚職にまみれた背景には、米国W杯を境にした組織の変質があった。突然、舞い込んだ大金が組織を狂わせたのだ。

 FIFAは1904年にパリで設立された「サッカー同好の士の互助会」のような団体で、もともと民主的な組織ではない。民主的な文化もない。ボロが出るのは時間の問題だった。サッカーの母国である英国は発足当初、この国際団体からの加盟要請を鼻であしらい、世界選手権(後のワールドカップ)への参加も拒否した。FIFAは本家の加盟を懇願し、1カ国1協会の原則の例外を英国に限って認めた。それが今も残る英国4団体だ(イングランド、ウェールズ、スコットランド、北アイルランド)。英国がW杯に参加したのは、第2次大戦後の第4回ブラジル大会からだ。

 また「営利団体」でもない(なかった)。それが変質したのは90年代に入ってからだ。非営利団体に数千億円の収入がもたらされるようになったのだ。
 
 74年に欧州以外から初めて会長となったジョアン・アベランジェ氏は、なかなかの戦略家だった。当時GDP世界1位と2位の国でサッカーはマイナー競技だった。94年の米国W杯と2002年の日韓W杯の背景には、経済2大国にプロサッカーを根付かせ、サッカーの世界市場を完成させようという意図があった(米国W杯開催の条件は、プロリーグの再開だった)。

 その米国W杯がサッカービジネスを変える最大のターニングポイントだった。筆者は94年11月、W杯の日本招致委員会に出向し、立候補の書類提出作業を進めていた。FIFAの事務局から「米国大会終了後に、開催に必要な要項(List of Requirements)の正式な書類を送るが、基本的にはフランス大会と変わらない」と聞いて、98年大会用の書類に基づいて作業を進めていた。ところが、94年末に送られてきた書類を見て驚いた。まるで違ったものになっていたのだ。98年用要項は、言わば「最小限の覚書」だったが、02年大会用のそれは、詳細にわたる「契約書」になっていた。中に2、3の疑問点があり、FIFAに問い合わせたところ、「問い合わせ先」を指示された。それはロサンゼルスにある某コンサル会社だった。社長は米国W杯で組織委員長を務めたアラン・ローゼンバーグ氏。それで謎が解けた。互助会的な組織FIFAは、ビジネスの本場アメリカで手玉にとられたのだ。そしてFIFAは同じ轍を踏まないために、恨み骨髄の相手に援軍を頼んだのだと。

 米国W杯後、米国の徴税局であるIRS(Internal RevenueService)が「事業税の支払い」をFIFAに命じた。それまでFIFAは事業税を課されたこともなかったどころか、公益法人として登記すらされていなかった。設立して90年もたった時点でその事実が発覚。公益法人としての免税措置もなく、事業税を100%米国に納めなければならなかった(現在はスイスの非営利団体として登録されている)。

 このエピソードが示すのは、社会がイメージする「一流の組織」とは程遠い、実に原始的な組織だということだ。「競技の普及と向上」のためだけの組織なら、これで十分だった。それが90年代の後半に大金が舞い込むようになった。それまで国際公共放送連合の談合で決めていたテレビ放映権を日韓W杯から入札にしたら、5.5倍に放映権料が急騰したのだ。以来、組織の能力と事業規模に大きなギャップが生じるようになった。

AERA 2015年6月15日号より抜粋