まるでホームビデオのようなつくりに、男自身の欲望は、巧妙に隠される。それどころか、欲望を強く持っているのは「将来はアイドルになりたい」と語る女の子のほうであると錯覚するほどだ。それはまるでAKB48を応援するのと同じような気軽さである。

 これまで児童ポルノは、「一部の変態男の問題」とされ、社会問題として真剣に捉えられてこなかった。児童ポルノを規制する法律も、そのような前提に立っている。

 私たちは、この問題にもっと真剣に向き合わねばならないのではないか。7歳児の水着姿を気軽に楽しめ、ブルマー姿の女児とのセックスを漫画で味わい、女児の性器をかたどったオモチャをネットでクリックすれば翌日には届き、子どもを強姦するアダルトビデオはファンタジーとして許されている現実に。そして改めて考えたい。「幼女を強姦するアニメやゲームなどは誰も傷つけていない」と、言い切れるのだろうか。「幼女に見える女性との性交作品」に、「被害者」はいないのだろうか。「アイドルになる夢を僕たちが応援」などという「建前」は、誰のために必要なのか。

 ネットでは、ジュニアアイドルのイベントに参加した男たちが、「ペニスを触った手で握手」などということを楽しげに記している。その本音に目をつむり、子どもを水着にさせる大人たちに、罪はないのか。

AERA 2014年6月30日号より抜粋