数奇な運命のホテル復活 千昌夫「うれしく思う」 〈AERA〉|AERA dot. (アエラドット)

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数奇な運命のホテル復活 千昌夫「うれしく思う」

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AERA#東日本大震災
10月25日、戸羽太・陸前高田市長(右から2人目)や、三菱商事復興支援財団の鍋島英幸副会長(右端)らがテープカットし、再出発を祝った(撮影/写真部・槙芝賢)

10月25日、戸羽太・陸前高田市長(右から2人目)や、三菱商事復興支援財団の鍋島英幸副会長(右端)らがテープカットし、再出発を祝った(撮影/写真部・槙芝賢)

三陸の海と街を見渡す高台に移転・再建された「キャピタルホテル1000」。160人が入る宴会場や結婚式場も備え、「陸前高田復興のシンボル」として、市民の期待は高い(撮影/写真部・槙芝賢)

三陸の海と街を見渡す高台に移転・再建された「キャピタルホテル1000」。160人が入る宴会場や結婚式場も備え、「陸前高田復興のシンボル」として、市民の期待は高い(撮影/写真部・槙芝賢)

 これほど数奇な運命をたどったホテルも、珍しいのではないか。岩手県陸前高田市にある「キャピタルホテル1000」のことだ。「北国の春」などのヒット曲を持つ当地出身の歌手、千昌夫さん(66)ゆかりのホテルだが、東日本大震災で大津波におそわれ、全壊した。

 そのホテルが11月1日、海沿いから高台に移転し、復活した。眼下には、津波に流されて更地となった街が広がり、あの「奇跡の一本松」も見える。

 バブル景気の真っただ中、1989年に開業した。名勝「高田松原」の近くに立つ7階建ての豪華リゾートホテルには、プールやテニスコートがあり、「市の迎賓館」とまで言われた。東京都内の建設会社が中心になって建て、千さんの営む不動産会社も出資した。

 千さんは故郷に錦を飾りたかったのだろう。当時、このホテルの建設にかかわった仙台市内の不動産業者によれば、千さんに故郷でのホテル建設企画を持ちかけたところ、「いいですよ!」と二つ返事で応じ、かなりの額を出資してくれたという。

 しかし、開業から5年もしないうちに、バブルははじけた。稼働率が低迷して赤字が続き、とうとう2001年8月、13億円の負債を抱えて経営破綻(はたん)した。

 その前年、経営陣は退き、第三セクターの「陸前高田地域振興」が経営を引き継いだ。新たな経営陣は再建に奔走。徹底した合理化と効率化を進め、累積損失を一掃するところまでこぎ着けた。そんな矢先の11年3月11日、東日本大震災が起きた。

 大津波で街は消えた。海沿いのホテルは4階付近まで波をかぶり、1階のフロントは、がれきで足の踏み場もない。2階の大宴会場は土砂に覆われ、3階の客室も天井まで浸水。ホテルは休業に追い込まれた。

 惨状に救いの手をさしのべたのは、三菱商事だった。気仙沼信用金庫が、三菱商事復興支援財団にホテル再建への支援を求め、産業復興支援の第1号案件に選ばれたのだ。再建にかかる約8億6千万円のうち、1億円を財団が出資。ほかに気仙沼信金の融資や国の補助金などを使い、今回の復活開業の日を迎えた。財団は出資の配当金の全額を陸前高田市に寄付する方針だ。

 苦難を乗り越えたホテルの再出発を、千さんはどう感じているのだろうか。取材を申し込むと、コメントを寄せてくれた。

「自分の故郷でもあるし、あのような形から再建できて本当によかった。震災後は泊まるところがなかったので、そういう場所ができて、また人がいっぱい来てくれれば、復興につながる。本当にうれしく思っている。ありがとうございました」

AERA 2013年11月25日号より抜粋


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