1985年3月7日に全米でリリース、続いて世界中で発売されるや否や、各国のチャートを制覇。そのシングルのセールスは730万枚を超え、誰もが認める20世紀のアメリカン・ポップスを象徴する楽曲、かつ20世紀最大規模のチャリティ・ソングとなった「ウィ・アー・ザ・ワールド」。



 アフリカの飢餓を救うため、クインシー・ジョーンズ、マイケル・ジャクソン、ライオネル・リッチーを主軸とし、人種を越えた錚々たるメンバーたち――当時のアメリカ音楽界のオールスター45名――が集結。しかしアメリカン・ポップスの金字塔となった同曲は、同時に、アメリカン・ポップスの青春時代を終わらせた張本人、呪い楽曲でもあったのだと、本書『ウィ・アー・ザ・ワールドの呪い』の著者・西寺郷太さんは分析します。



 バンド「ノーナ・リヴース」のシンガーとして活躍する傍ら、80年代音楽に関する執筆活動でも注目を集める西寺さん。本書では、「ウィ・アー・ザ・ワールド」というひとつの楽曲が生まれた背景を探るため、そこにいたるまでのアメリカン・ポップスの歴史の概観を辿り、どのような文脈のなかに同曲が位置づけられるのかを解説。



 そのうえで、実際のレコーディング現場で起こった出来事を、当時の記録を紐解きながら詳細に伝え、なぜ同曲が「呪い」の楽曲なのか、その理由を明らかにしていきます。



 なかでも本書で特筆すべきは、アメリカン・ポップスが辿ってきた歩みのなかで初めて完全に主客転倒がなされた(つまり白人勢力から黒人勢力への権力委譲が同曲によってなされた)ことを明らかにしていく点と、楽曲と映像の融合という観点から同曲を分析していく点が挙げられるのではないでしょうか。



 楽曲と映像の融合。西寺さんは、「ウィ・アー・ザ・ワールド」が世界中で愛された理由のひとつとして、「45人のスターたちが一堂に会して、スタジオで繰り広げた素顔が記録され、公開されたこと――世界中がそのライヴ感の目撃者となれたこと――にある」(本書より)と述べ、曲の誕生から完成にいたるプロセスを映像としたことの意義の大きさを説きます。

映像に記録されたのは、ボブ・ディランにメロディを教えるスティーヴィー・ワンダーや、背が低いゆえマイクの高さに不満をもらすポール・サイモン、欠伸をこらえてストレッチをするダイアナ・ロス......といった、メンバーたちの個性溢れる様子。



 しかし、映像によって映された、こうしたメンバーたちの強烈なキャラクターは、あまりにも面白すぎたため、キャラクターそのものが愛されすぎることに。その結果、皮肉にも「参加者は鮮烈な印象によって、世界的規模で消費し尽くされ」、その後の自身の楽曲の急速な売れ行き不振を招いてしまったという、歴史的ヒットが引き起こした「呪い」の側面を西寺さんは指摘します。



 楽曲の作者である、ライオネル・リッチー本人にも「世界中でインタビューを受けてきたが、君が私の関わった音楽を最も深く理解している」といわれたという西寺さんによる、ウィ・アー・ザ・ワールド論。必読です。