古今東西、多くの人が試行錯誤をしながら取り組んできた「子育て」。どんなに時代が流れてもこの大変さは変わらないようで、実は戦国武将たちも苦労していたようです。

 書籍『歴史は人生を教えてくれる―15歳の君へ』によると、江戸幕府を開いた徳川家康も、子育てには失敗した経験があるそうです。家康の長男(嫡男)である三郎信康(さぶろうのぶやす)が生まれた際には、「自分も若く、子供が珍しく、その上、息子が病弱だったから、育ちさえすればよいと思い、気の詰まることはさせず、気儘(きまま)に育てた」そうです。その結果、三郎信康は家康を尊敬せず、親が改心させようと話しても聞き入れず、最後には親を恨むようになったのだとか。これに懲りた家康は、他の子供を育てるときは、悪いことをすればその都度叱り、いちいち言い聞かせるようになりました。そしてこの教訓から、家康はこうも言っています。

 「(子供を)植木にたとえれば、初めに二葉が発芽した時は、人が生まれたばかりの時と同じで、よく世話をし、二、三年たって枝葉が多くなったら添え木をし、まっすぐになるように結び、悪い枝は切り取り、年々そのように手入れすれば、成木になった時にまっすぐなよい木になる。人も同じで四、五歳から添え木の人を付け、悪い枝が我儘(わがまま)に育たぬようにすれば、よい人となる」

 この家康の「植木教育法」は、江戸時代の子育ての基本となったそうです。一方で、これとはまったく逆とも言える教育法をとった武将もいます。それが独眼竜・伊達政宗の父、輝宗です。

 政宗は幼少期、片目がつぶれた自分の姿を気にして自己嫌悪に陥り、人前に出ることもできないほどでした。そんな息子の将来を案じた輝宗は、政宗の教育にとりかかります。それは「自信を持て!」と頭ごなしに叱るのではなく、「人は顔ではない」と説き、特技を伸ばして自信を持たせようとする、という方法でした。当時、政宗は和歌や漢詩作りが得意だったため、輝宗はそれをひたすらほめ、さらに政宗を嫌い、弟ばかりをかわいがっていた母に代わり、「母親のようなやさしさ」で政宗を育てたそうです。こうした教育法が功を奏してか、政宗はその後、広く名を知られる武将に成長しました。

 それぞれに方法は違いますが、戦国武将もひとりの父親として子育てに奔走していたことがよくわかります。さらに言うと、戦国武将は子育ての前に子供を授かるための努力も怠りませんでした。

 武将ともなれば、家を繁栄させるために自らの子供をもうけることは必定。子供を授かるために武将たちは湯治を活用していたようで、日本各地には子宝にご利益があるとされる温泉が多数あります。

 例えば滋賀県の「長浜太閤温泉」は、秀吉ゆかりの子宝の湯。秀吉が長浜城に移り、初めて子供ができたことから、そう呼ばれているのだそう。空気に触れると褐色に変色する湯は、一度浸かると湯冷めしにくく、体がいつまでもポカポカするとのこと。

 長野県の「田沢温泉」は、山姥がこの山合いにある温泉で湯治を行い、授かった男の子が金太郎であるという言い伝えがあることから、子宝の温泉として有名。ややぬるめのお湯は、長湯してゆっくり体をくつろがせるのにぴったりだそうです。

 ほかにも、婦人病によいとされる福島県の「熱塩温泉」や、体の芯から温まるという群馬県の「伊香保温泉」など、全国各地に子宝の湯はあります。来る5月18日はベビーブームの日。戦国武将もお世話になった子宝の湯に、歴史に思いをはせながら入ってみるのもいいかもしれません。

【関連リンク】
女性にやさしい子宝の湯(ゆこゆこネット調べ)
http://www.yukoyuko.net/onsen_news/ranking/selection_130516.html