──火災は不幸な偶然や小さなミスが重なって大惨事へとなっていくが、映画は大聖堂がどのように救出されたのかに焦点を当てる。脚本はアノー監督自ら書いた。

 信じてもらえないだろうなと思いながら書いていました(笑)。私が(フィクションで)脚本を書くとしたらここまでしません。あまりにもできすぎているのです。脚本を書くのはとてもたやすいことでした。エピソードがたくさんありすぎたからです。どれを選ぶかが問題でした。緊張感が感情を呼び起こします。それが鍵になると思いました。その緊張感は簡単に作り出せました。

──その緊張感あふれるシーンの一つが鉛の描写だ。大聖堂の屋根や尖塔は大量の鉛で覆われていた。延焼が激しくなるにつれ、融点327.5度の鉛が屋根から溶け出し、煙の中を必死に進む消防隊員のヘルメットや地に滴り落ちる。

 鉛のシーンは伝えたいと思ったことの一つでした。滴り落ちる鉛を再現するための実験を何度か行いました。飛散した鉛はパリ中を汚染したと言われます。私が今(オンライン取材を受けて)いるこの家は、大聖堂から500メートルくらいのところにあるのですが、帰ってきたらバルコニーは埃(ほこり)だらけでした。その時はそれが何だかわかっていませんでしたが、鉛の微粒子が飛び散ったもので、鉛の煙はパリを越えてベルサイユまで飛んだといいます。あちこち鉛だらけになっていたのです。私は火災の後に大聖堂を訪れましたが、ガーゴイル(雨樋の機能を持つ、怪物を模[かたど]った彫刻)に鉛のヒゲがありました。今もまだその溶けた鉛が固まっています。

──映画化にあたっては火災で最もダメージを受けた大聖堂の象徴的な部分を複製し、実物大のセットを作った。

 コンピューターグラフィックスはほとんど使わず3%ぐらい。本当にわずかです。(ほとんどのシーンは)実際に作ったセットを燃やして撮影しています。現在再建中の大聖堂に関わった人がセットの建築にも関わってくれました。彫刻なども同じ石で作っています。非常に大きな作業でした。燃やすということで扱う火も大きかったですし、使う水もものすごい量になりました。

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