対談前に亘理町の海辺を歩く金菱さん(撮影=門間新弥)
対談前に亘理町の海辺を歩く金菱さん(撮影=門間新弥)

 私は仙台の街中にあるマンションの自宅にいました。私は大阪府出身なので、1995年の阪神・淡路大震災も経験しているんです。災害社会学が専門になったのは、二つの大震災を震源地に近い場所で経験したことからでした。

 阪神・淡路大震災のとき、倒壊した高速道路や家屋、火災の状況は大量に報道されるのに、必死に生き延びようと闘う人たちの姿が一向に見えてこない。その有り様にもどかしさを感じたことが、東日本大震災で被災した人たちの声なき声を言葉にして記録するという研究につながったのです。

佐藤:私も金菱さんの本のなかから、『震災と行方不明』と『震災学入門』は読みました。

金菱:仙台在住の作家さんのなかには「言葉のプロなのに、東日本大震災を一言も言語化できない。震災を経験してから、小説のなかで人を殺せなくなった」と話す方がいる、と土方さんに聞いたことがあります。佐藤さんは、震災を創作の中心に置くことを、どう考えていますか。

佐藤:被災の様子を具体的に書かないまでも、小説でどういうやり方があり得るか、ずっと考えています。ただ、ある程度のルールを自分なりに決めないと方向性を見失ってしまいます。私の場合は、自分が体験したり、人から見聞きしたことを元に、できるだけ真実に近いところから少しずつ物語を立ち上げています。フィクションですが、細かく分解すると、事実が根底にあるという書き方を今はしています。

金菱:災害時は救急隊員でもない私たちのような人間は何もできず、言葉の無力さを痛感しました。

佐藤:私も言葉の無力さは強烈に感じました。私の大学時代の友人には、津波の被害が大きかった石巻市出身が多いんです。本が好きでずっと読んできた人間なのに、家や大切な人を失った友人を目の前にして、かける言葉が何も見つからない。すごく情けなかったですし、つらかったです。

 だからこそ、自分が言葉を綴るときは、慎重にならざるを得ません。執筆時は読者を具体的に想定はしていませんが、震災に触れる部分では、被災地の人たちがどう受け止めるか、言葉を探すのに悩みます。『荒地の家族』で地震や津波の言葉を使わず、「災厄」「天災」と表現したのも、その思いからです。

(ライター・角田奈穂子)

※記事後編>>「東日本大震災の被災者の声なき声を『言葉で綴る意味』 芥川賞作家と社会学者が対談」はこちら

週刊朝日  2023年3月17日号