作家・室井佑月氏は、「#MeToo運動」における加害者の扱いに苦言を呈する。
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いまさらではあるが、「#MeToo運動」のやり方に疑問が出てきた。もちろん、性被害に遭われた方が勇気を持って告発することは、すごいことだと感じるし称賛を送る。辛い思いをされた方が、頑張って世の中を変えようとしているのだ。称賛以外にない。
しかし、今のやり方には疑問がある。たくさんの人が読んでいる週刊誌に告発の声があげられる。そして、加害者側が徹底的に叩かれる。
もちろん、なんらかの罪を犯した側は、世の中から制裁を受けるべきだと思う。しかし、その制裁は、罪の大きさに対し正しく、誰もが等しく与えられるものでなければならない。
先日、ある映画監督が問題を起こし、告発者が複数出てきた。彼はこれから、自分の罪を引き受けなければいけない。そこに異論はない。というか、徹底的に検証をし、罪は裁かれるべきだ。
そして被害者たちが、それぞれ胸をなで下ろせる未来へ進んで欲しい。……そこなのだ。
複数人いる被害者たちがどうしたいのか? 微妙に違うと思われる。されたことや、その状況も微妙に違っているわけだから。
直接謝罪を求める人、直接は怖いので人を挟んで謝罪をして欲しい人、それは手紙がいいのか、もっとしっかりした文書といえるものがいいのか。弁護士に頼んで裁判で決着をつけたい人もいるだろう。刑務所に入って欲しいという人も、慰謝料で和解したいという人もいるかもしれない。
どういう落とし所が被害者にとって最適なのか、そこがいちばん重要であるのに、それがまったく見えてこない。
結局、ネットでの集団リンチが、加害者の社会的抹殺という制裁になるわけだが、ほんとうにそれでいいのか。
というようなことをいうと、加害者の味方をするのかと、ものすごく叩かれる。
違う。自分や自分のまわりの人が酷いことをされたと想像しても、それから先、生きていく上で、加害者には適正に罪を償って欲しいと願う。それには一つ一つ、きちんとした検証が必要だ。