鈴木浩介 [撮影/小山幸佑、ヘアメイク/奥山信次(barrel)、スタイリング/久修一郎(インピゲル)]
鈴木浩介 [撮影/小山幸佑、ヘアメイク/奥山信次(barrel)、スタイリング/久修一郎(インピゲル)]

 小学生の頃、「いつか会ってみたい」と憧れたヒーローがいた。俳優の西田敏行さんだ。あるとき、ドラマ「池中玄太80キロ」の再放送を観て、感動してボロボロ泣いた。俳優・鈴木浩介さんにとって、ドラマを観て、そんなにも胸が熱くなったのは初めてだった。

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「でも、中学と高校ではスポーツに夢中になっていたので、演劇部に入って将来は俳優を目指そうなんて思いもしませんでした。ただ、高校や大学に進学するときに、人並みに受験勉強を頑張ったんですが、口には出さなくても、頭の片隅に『自分は何のために進学するんだろう?』という疑問がありました」

 大学に入学するまでに2回の小さな挫折も経験した。一つは、続けていたスポーツを断念したこと。もう一つは、希望の学部に受からなかったことだ。

「わざわざ福岡から上京したものの、大学生活にはさほど興味が持てませんでした。自分が本当に学びたいことができていないこともありましたが、周りの、『学生生活をエンジョイしながら勉強もして、3年になったら就活して、いい企業に入ろう』的な考え方にどうしてもなじめませんでした」

 何のために行くのかわからない会社に就職するのだけはやめよう。そうやって、大学1年生の終わり頃には、“大多数の大学生がイメージする安定した未来”に見切りをつけた。

「そんな折、ふと、『せっかく東京に来たからには、憧れの西田敏行さんにどうにか会えないものか』と思いついたんです。僕が当時イメージしていた“会う”の意味は、西田さんが出ている舞台を見に行くとかじゃなく、近くに行って、本物をこの目で見るということ。それで、西田さんが所属する青年座の門をたたくことにしたんです」

 大学に行って、就職活動をして、一人前の社会人になる──。それが学生の進路のメインストリームだった。もっとオリジナルの人生を送りたい自分もいたけれど、最初はそれを見ないようにしていた。大学を休学して、青年座の研究生になったとき、「これで人生が変わるんだ。もう戻れない」と明確に思った。正式な劇団員になったのは、その2年後のことだ。

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