かまいたち/山内健司(左)、濱家隆一によるお笑いコンビ。2004年、「鎌鼬」という旧名でコンビ結成。さまざまな賞を受賞し、大阪では確固たる地位を築く。17年キングオブコント優勝、19年M―1グランプリ準優勝、21年上方漫才大賞・大賞受賞など、快進撃を続行中 (撮影/加藤夏子)
かまいたち/山内健司(左)、濱家隆一によるお笑いコンビ。2004年、「鎌鼬」という旧名でコンビ結成。さまざまな賞を受賞し、大阪では確固たる地位を築く。17年キングオブコント優勝、19年M―1グランプリ準優勝、21年上方漫才大賞・大賞受賞など、快進撃を続行中 (撮影/加藤夏子)

 10月からレギュラー番組が16本。そのうち冠番組は9本にのぼる。9月開始の「ウラ撮れちゃいました」(テレビ朝日系)では、ゴールデン帯のレギュラー番組で初のMCも。大ブレーク中の2人に、転機になった出来事、久々のライブにかける思い、これからの野望を聞いた。

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 東京オリンピック・パラリンピックも終わって世の中が平常運転に戻るこの秋、もっとも勢いのある芸人ナンバーワンとして、名前が挙がることも多い。

 山内健司、濱家隆一による芸人コンビ、かまいたちが誕生したのは、2004年。ともにNSC大阪校の卒業生だったことで知り合い、コンビを結成した。07年の「ABCお笑い新人グランプリ」では、旧コンビ名の「鎌鼬」名義で、最優秀新人賞を受賞するなど、結成間もないころから数多くの賞を受賞してきた。

 大阪を中心に人気を呼び、M‐1グランプリや、キングオブコントといった賞レースではほぼ毎回、準決勝に進出する安定の人気を誇っていた。そんな2人が「最大の転機となった」と振り返るのは、15年のキングオブコントだ。山内が、テレビで見るいつもの真顔で言う。

「それまでM‐1も、キングオブコントも、準決勝までは、なんとなく毎回行っていたんですよ。ところがこの年、初めて2回戦で落ちてしまった。『うわ、ヤバ……』と思って焦っていたら、すぐ濱家から電話がかかってきて、『ヤバいな』『うん、ヤバいな』って。これは後輩にもなめられると思って、次の年は、絶対に決勝行かな!みたいな感じで、単独ライブとか、めっちゃ回数増やしたりしましたね」

 その年までは、賞レースの本番前も、時間だけを合わせるくらいで、あまり練習もせずに挑んでいたが、「きっちり練習をするっていう、基本なことをするようになった」(山内)。

 この「2015ショック」の敗因を、2人はこう見る。

「2回戦は、この程度で通るだろうって感じでネタをやったんです。で、ややウケやったんですけど、審査員の人も顔見知りやし、大阪である程度知名度もあるし、俺らを2回戦で落とすメリットは向こう(審査員)にもないよなって、思い込んでいた」(同)

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