半世紀ほど前に出会った99歳と85歳。人生の妙味を知る老親友の瀬戸内寂聴さんと横尾忠則さんが、往復書簡でとっておきのナイショ話を披露しあう。
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■横尾忠則「駅伝に輪廻転生を想像してしまうのです」
セトウチさん
セトウチさんが陸上部の選手だったことは知っていましたが、槍投げ選手だったとは。僕の郷里の西脇工業高校は高校駅伝の優勝常連校で、郵便屋さんになれなかったらマラソン選手でもよかったかなと思うほど僕はマラソンが好きでした。郵便屋は昔、飛脚と呼んで韋駄天(いだてん)足の早い人の職業なのでマラソンと郵便屋は関係あります。
マラソンは42.195キロをひとりで走りますが駅伝は区間で待つランナーにタスキを渡しながらのリレー競技です。そんな駅伝に僕は仏教の輪廻転生に通じるものを想像してしまうのです。一本のタスキが、何人かのランナーに手渡されて、最終的にゴールに飛び込みます。ここで僕は一本のタスキを魂と考えました。魂は変らないが、魂を宿す肉体は次々と変ります。そして最終ランナーはゴールという涅槃に入って不退転者になります。ネ、セトウチさん、輪廻転生そっくりでしょ。
大方の知識人は中々輪廻転生を信じません。死んだら、脳の活動も終るのだから、死は無だと考えます。五感という肉体感覚こそ生の実体だというのです。魂なんてファンタジーの世界の余計なものを持ってくるなと言われそうです。まあ科学で証明される概念を信奉される人には、この駅伝輪廻転生説は寝言です。
われわれ美術家はというか僕は輪廻転生や魂の存在を信じることで創造が成立します。この物質的現実から分離されたもうひとつの見えざる現実の存在を否定しては創造は成立しません。見えないものを見えるように描くのが僕の商売です。そのためには僕は常にこの二つの領域に足を掛けながら創作に向かっています。物質的世界に対して非物質的世界の中に宇宙を体感するのです。