東京の大学で、定年の六十五歳まで教鞭を執っていた私は、待ちに待った退職を迎えた。やっとのこと組織という名の枠の中から解き放たれたような解放感に私の心には込み上げるほどの嬉しさが湧起し、新しい人生に踏み出す第一歩には弾む力が漲っていたのである。

 実に幸運なことに、大学教授時代から共同研究をしていた札幌市に本社を構える佐藤水産株式会社が、発祥の地である石狩市親船というところに、新たに鮭を中心とした加工場と研究室をつくることになり、自由な発想で商品開発の仕事をしてみないか、という誘いが来たのであった。

 こうして、比較的規模の大きい加工場の二階の隅の方に、小回りの利く研究室をつくってもらった私は、札幌の住まいから毎日のように親船に通って好き勝手な研究をするという、至福の日々を迎えることができたのである。

 私が、石狩市親船にあるその水産会社の研究室に初めて行ったのは、まだ空気が冷たい四月初旬のことであった。札幌の街には精通しているものの、石狩市という所はそれまで行ったことがなかったので、目にするものは何もかも新鮮に見えた。

 早速、自分なりに研究室での一日中の時間配分をつくってみた。午前九時研究室到着。午前中新製品開発構想と実施のための開発計画の作成。午前一一時三〇分より一三時まで昼食と研究室周辺の散策。一三時より一六時まで午後の執務。一六時から一七時三〇分まで研究室周辺の散策。一七時三〇分頃帰宅。つまりこのスケジュールであると研究室での執務は五時間半、周辺の散策に約二時間半かけられるのである。研究室の周りをたっぷりと時間をかけて歩き回るのには理由がある。

 それは親船に来て最初の日に車で周辺をざっと見て回ったのであったが、こんな狭い地域の中に遺跡や史跡、神社仏閣がやたらと多く残されていることに気付いていたからであった。私は、そのような記念物や記念碑、古い建物などに尋常でないほど興味を惹かれる質なので、特に関心を持ったものについてはさらに自分で調べたりし、それをいつも持参している『路上観察雑記帳』に記入してきたのである。この雑記帳はもう三〇年以上も続けてきたので、今では優に一〇〇冊は越えている。

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