新婚のその家に転がり込んだ姑(しゅうとめ)の祖母を、母は心を尽くして面倒をみたようです。祖母はすでに生まれていた私の五歳上の姉を無性に可愛がり、寸時(すんじ)も放そうとしなかったそうです。生まれた時から体が弱くはしかをしくじり、おできだらけの幼児になって、年中かゆがって泣いている私を、明らかに嫌っていたようです。それでも昼間、町内にある大きな銭湯によく私を連れて入りに行きました。姉は学校へ行っているので、その時は、私ひとりがお供でした。その頃の銭湯はまだ客はいなくて、祖母と私の二人の外にどこかの老婆がひとりよく入っていました。祖母よりもずっと老人で、腰が曲がってよろよろしていました。私は二人の老婆と湯につかりながら、あのように醜い体には、ぜったいなりたくないと思っていました。色の白い肉の多い母の美しい、手ざわりのいい体にくらべて、老婆の裸は何と汚いのかと、子ども心に、しっかり目の底にやきつけてしまったのです。自分も年をとって、ああなるなら、その前に死んでしまいたいとさえ思いました。三、四歳の子供にもそんな印象は焼きついたら長じても消えないものなのです。

 少女時代には文学少女になり、自殺に憧れ、汚い老婆になる前に、さっさと自分で死んだ方がいいとさえ思い始めていました。

 ところが、思わぬ長生きをして、まさか百歳になるなんて……。この年まで生きると、ずいぶん多くの死人の顔を見送っています。私の見た限り、死人は生前より皆さん美しくなっています。死に化粧をした人もしない人も、それぞれ、さっぱりしたやさしい顔になるのは有難(ありがた)いことです。何人か、裸に死に衣装を着せられるところも見たことがありますが、死者の躰(からだ)を醜いと思ったことはありません。生きている心の汚さが、生きている肉体を汚く見せるのだと悟りました。今では漸(ようや)く、自分の死後について悩まなくなりました。私の心の汚さが死体にあらわれても、あきらめます。私はたぶん、今年、死ぬでしょう。百まで生きたと、人々はほめそやすでしょう。

 目を閉じた私は、それから、どの星へ移るのでしょうか。その旅は何が運ぶのでしょうか。その途中の経験を書いたエッセイを、この雑誌のこの頁(ページ)に、送れないのが、実に残念ですね。

 でも、ヨコオさんにだけは、この手紙で、きっと報告しますからね。ではお元気で。

週刊朝日  2021年1月22日号

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