林:デビューはいつなんですか。
江里子:デビューは07年だったんですけど、テレビに出させていただいたのは08年のモノマネの番組で……。
林:あれが最初だったんですか。安田祥子さんと由紀さおりさんの「トルコ行進曲」のモノマネが。
美穂:そうです。そのときもドーンとブレークという感じではなかったですね。
江里子:そこから何となく始めてしまって、「何となく」が13年続いてきてしまったという感じです。
林:お二人はいつから芸能人になろうと思ったんですか。
江里子:知り合ったのが劇団の養成所なんです。東京乾電池という、柄本明さんとかベンガルさんがいらっしゃる劇団の研究所にそれぞれ応募して入らせていただいて。
美穂:20代前半ぐらいですね。
江里子:私が大学を卒業する年で、美穂さんはお仕事してたのよね。
美穂:短大を出てから、二子玉川の高島屋に入っている布団屋さんで1年ちょいぐらい。でも、接客にあまり向いてないなと感じまして、演劇がちょっと気になっていたので、劇団の養成所を受けてみようかなと思って受けたら受かりまして。それで布団屋さんはやめて養成所に通いました。
林:お二人とも女優さんを目指していたわけですか。
美穂:(江里子さんと顔を見合わせて)女優さんって言われると……ちょっと申し訳ないです(笑)。
江里子:「笑っていいとも!」の前身の「笑ってる場合ですよ!」というお昼のバラエティー番組がありまして。
林:はい、ありました。
江里子:高田純次さんとか東京乾電池のメンバーが番組にお出になっていたんですけど、タレントさんと役者さんの狭間にいらっしゃるというか、どちらもこなしてらっしゃる集団だったので、こういう劇団だったら楽しいんじゃないかしらと思ったんです。役者になろうとかお笑いに行こうという頭はぜんぜんなくて、今の大学生活から、もう一歩逸脱したところに踏み込んでみようかな、みたいな感じでした。
林:青春の思い出に、という感じですか。