柴門:私はきっと規則正しい生活してるからだと思う。

林:私はそうでもないけど(笑)。よく飲んで食べ、よく眠る。

柴門:やせちゃダメよ。

林:私がデビューしたころ、もう柴門さんは売れてましたよね。柴門さんが初めてじゃないですか、男性誌に描いた女性漫画家って。

柴門:初めてじゃないです。牧美也子先生と里中満智子先生が「ビッグコミック」に描いてたと思う。

林:高橋留美子さんはそのあとですよね。

柴門:高橋留美子さんとほとんど同時期で、高橋留美子さんが「少年サンデー」でデビューした1年後ぐらいに私が「ヤングマガジン」で描いて、当時ヤング誌というのがいっぱい創刊されたんです。「ヤングジャンプ」「ヤングマガジン」「ビッグコミックスピリッツ」……。

林:そうなんだ。

柴門:「ビッグコミック」系のおじさんの作家はいるし、「少年マガジン」も少年漫画を描く作家はいるけど、大学生とか若いサラリーマン向けの話を描く作家がいなかったんですよ。だからヤング誌は、読者に近い年齢の作家に作品を描いてもらおうということで、漫研の学生みたいなのに声をかけたんです。私もバブル採用で採用されて、「ヤングマガジン」で描いたんです。

林:バブル採用って言うけど、才能ない人が採用されるわけないんだからさ。柴門さんの絵はどこがいいって言われたの?

柴門:絵はぜんぜん下手だったんですよ。「画力より勢いがあるのがいい」って言われました。私は浪人生の男の子と年上の女の子のラブコメを描いたんです。『P.S.元気です、俊平』っていうんですけど、当時ラブコメがわりとブームだったんですよ。柳沢きみお先生の『翔んだカップル』とか、コメディータッチのラブコメが人気あって、その路線なら私も描けるという感じで、それが運良く当たったんです。

林:「マーガレット」とか、女の子系の漫画誌に描こうとは思わなかったんですか。

柴門:あのころの少女漫画って、10代のうちにデビューしないとダメと言われてたんですよ。アイドルと一緒で、読者と同じぐらいの年齢で、読者と同じ気持ちになって恋愛を描かなきゃいけないって。里中満智子先生とか美内すずえ先生とか、16歳ぐらいでデビューしてると思うんですよ。私が大学の漫研時代に出版社の人に会ったら、「キミは年とってるから少女漫画は無理だね」ってはっきり言われた。

林:昔から思ってるけど、柴門さんって女の作家グループの中にも入らないし、男の人たちの中に一人立って、それがべつに気負ってる感じもなく、サラッとしてて、しかも大ヒットしてて、すごくいい立ち位置ですよね。

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