20年版の発表は1月27日の午後4時開始(現地時間)であった。私は、前日の晩に、圭さんを食事に誘った。

「圭さん、三つ星は無理よ。早すぎる」

「どうしてですか? 分からないじゃないですか!」

「ボキューズを格下げした年に、日本人に三つ星? ありえない」

 巨匠ポール・ボキューズ(18年に死去)の店が55年間保持した三つ星を失ったことが、数日前にわかっていた。これがミシュランの「革命」だったのか!

 フランス全土が驚愕(きょうがく)するようなニュースだった。国の栄光のシンボルを二つ星に格下げて、日本人に最高賞の三つ星を与えるとは考えられなかった。

 ところが予想に反し、圭さんは見事に獲得した。

 発表会の当日、私は会場のプレスコーナー席に座った。午後3時50分、発表が始まる10分前。「ケイが三つ星を取った!」という一報がプレスコーナーに広まった。私は会場の中央のシェフ席に座っていた圭さんに、スマホのラインでメッセージを送った。

「圭さん、良いお知らせのようですよ」

 遠くから見える彼の顔は真っ白に緊張していた。妻の知加子さん、シェフパティシエの高塚俊哉さん、調理場のチームとレストランディレクターも一緒だ。勢ぞろいで来たところを見ると、もしかして知っていたのかも。

 20年に美食の都パリで新しく三ツ星を手に入れた店は、「レストランKEI」だけ。去年初めてフランス人ではないシェフが三ツ星を獲得したが、それほどの騒ぎにはならなかった。今回の「日本初!」は今までにない反響を呼んだ。

 テレビニュースで報じられ、レストランへは1千~2千件の予約メールや電話が殺到した。フランス人が日本へ抱く憧れと尊敬の表現なのだろうか? 細身で神経質そうな一人の日本人の料理人が、フランス料理の歴史を変えたのかもしれない。

 三つ星を取れたのはミシュラン側の事情もあったのだろう。新しい総責任者のもとで、ミシュランは過去のイメージを一新する必要に迫られていた。

 もちろん料理はすばらしい。初期は一切しょうゆを使わないほどフランス料理に一途な姿勢だった圭さん。同レベルのフランス料理人がしょうゆはもちろん、一番だし、昆布、みそ、ユズ、ノリなどを日常的に使うなか、圭さんは日本の食材や料理法をあまり活用しない。

 才能の基盤にはフランス料理の伝統がある。日本で師匠から、「肉を習いたいならフランスへ行け」と言われ、20万円を手に渡仏。一本のバゲットパンで3日間過ごすような切り詰めた暮らしを経て、ようやく南仏の三つ星店で採用された。KEI特有のトマトやオリーブ油の味は、ここで培われたのだろう。

 アルザス地方の著名店で働きながら、定休日は隣の精肉店でも修行を重ねた。年に100頭以上の鹿をさばいたそうだ。圭さん特有のジビエ料理の根源はこの時代にあった。

 フランス料理の基本は肉。日本の料理人にとっては難しい食材だ。圭さんの強みは、肉という食材に精通し熟練の技を持っていること。

 そして、フランス料理のもう一つの基盤であるソース。ソースがなくてはフランス料理ではない。通常は肉の端切れや骨をワインなどで煮詰めて作るが、圭さんはぜいたくな部位を使う。

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