川井はこう振り返る。

「単に私が馨さんに勝ちたいだけの見られ方じゃないのがすごく苦しくて。もういいや、自分が負ければいいのかなって。(世間の)大半が、自分が負けて馨さんが(勝って)っていう意見だと思った」

 実際、川井は昨年12月に敗れた直後、

「やっと終わった」

 という妙な安心感に包まれた。報道陣には「五輪をめざしているのは変わりない。また頑張らなきゃいけないなと思う」と答えたが、本心は違った。会場の裏に初江さんを連れ出し、涙ながらにこうこぼした。

「もう、やめるわ」

 グレコローマンスタイル元学生王者の孝人さん(52)、1989年世界選手権代表の初江さんの間に生まれた3姉妹の長女。小2で競技を始め、初めて出た大会では1回戦で男の子に負けて号泣した。

 ジュニアクラブの指導役だった母の教えは、

「とにかくタックル。攻め重視」

 川井は、

「守って勝っても『何で攻めなかったの?』って言われた」

 と話す。初江さんは、

「梨紗子はもっとできるはずだと厳しく接した」

 と言うが、川井は「他の子と平等じゃない」とよくけんかになったという。

 小学校の卒業式で、川井は将来の目標について、

「みんなに夢を与えるスポーツ選手になること」

 とスピーチした。中学では美術部に入ったが、軸足はあくまでレスリング。1年生の段階で愛知・至学館高へ進む決意を固めていた。

 栄監督の下、厳しい練習で力を付けて13、14年に世界ジュニア選手権を制した。そんな川井に転機が訪れたのはリオ五輪前年の15年、至学館大3年のときだ。

 伊調に挑むか、五輪をとるか──。

 63キロ級で五輪3連覇中だった伊調が、川井の主戦場だった58キロ級に階級を落としてきた。14年末の全日本選手権は伊調に0‐6で完敗。川井は栄監督から63キロ級への変更を勧められた。

 だが、ずっと拒否し続けた。

「馨さんは女子レスリングが五輪に採用された04年からずっとテレビで見て、本当に憧れていた。あの人みたいに強くなりたい。そして、だんだん勝ちたい存在になっていったから」

 リオ五輪代表権が絡む15年6月の全日本選抜選手権。川井はぎりぎりまで悩んだ末、結局63キロ級に階級を変えた。58キロ級のエントリーは伊調を含めて3人だけ。

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