吾妻ひでおさんが晩年語った「発禁になるような美少女エロマンガを」 〈週刊朝日〉|AERA dot. (アエラドット)

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吾妻ひでおさんが晩年語った「発禁になるような美少女エロマンガを」

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田中将介週刊朝日
吾妻ひでおさん (c)朝日新聞社

吾妻ひでおさん (c)朝日新聞社

 漫画家の吾妻ひでおさんが、東京都内の病院で死去していたことがわかった。69歳だった。

 1969年に漫画家としてデビューした吾妻さん。「ふたりと5人」「不条理日記」「オリンポスのポロン」など、ギャグ漫画からマニアックなSF、少女漫画まで幅広いテーマの作品を手がけた。

 吾妻さんの作品を担当した早川書房編集者の阿部毅さんはこう語る。

「吾妻さんの作品はいつも、『こういうものが読みたかった』というもので、SF、エロチックも含めて、毎回、新しいものを提供してくれる作家さんでした」

 アルコール依存症に苦しみ、2度失踪し、路上生活を送った実体験を描いた『失踪日記』(2005年出版)は、文化庁メディア芸術祭マンガ部門の大賞に選ばれた。この作品を担当したイースト・プレス編集者の堅田浩二さんは、吾妻さんの人間性についてこう語る。

「失踪したり、依存症になったりと破滅的な印象を持たれている方もおられるかと思うのですが、実際は物静かで、ストイックな方でした。断酒後は一滴もお酒を口にされませんでした。『失踪日記』の続編の『アル中病棟』は300ページを超える長編ですが、8年間かけてコツコツと描き下ろされました。その間、吾妻さんはデッサン教室に通い、改めて絵画技法を学ぶなどマンガに対して生涯真摯に取り組まれていました」

 堅田さんには吾妻さんの印象的な言葉があるという。

「『こういうマンガの世界に行きたいから。現実はつらいけど、ぼくはマンガに救われている』。吾妻さんは初期から、ご自身の分身であるキャラクターを、作中に登場させてきた理由をこう語っていました。思えば失踪やお酒も、作品に対する理想が高く、自分への妥協を許さなかったからこそ、ある時期、そこに逃げ込まざるを得なかったのでしょう」

 堅田さんは、無念をこう口にする。

「晩年は『発禁になるような美少女エロマンガをやろう』と話し合っていたのですが、それがかなわなかったことは残念です」

(本誌・田中将介)

週刊朝日  2019年11月8日号


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