夏の軽井沢のテニスコートで、天皇皇后両陛下は初めて出会った。今からかれこれ61年前のこと。その運命的なダブルスの試合を観戦し、2人の恋のキューピッド役を務めた織田和雄さん(83)が、「テニスコートの恋」の真実を語った。
私は天皇陛下より、2歳年下。兄が学習院の中等科から高等科まで陛下(当時は皇太子)と同級生でしたから、ご縁ができた。以来、テニスを通じて、プライベートな交友を続けさせていただいています。
陛下と皇后さま(当時は正田美智子さん)が初めて出会われたのは1957年8月のこと。軽井沢にお住まいの方と別荘所有者たちがメンバーの「軽井沢会」主催の親睦のテニス大会でした。いわば軽井沢のテニス好きが集まったという感じでした。
後に「テニスコートの恋」と騒がれた世紀の試合は、大会2日目。陛下と早大の男子学生のペアが、美智子さまとカナダ人の13歳のボビー・ドイルさんペアと対戦しました。
結果は美智子さまのペアが2対1で勝たれました。私はコートの外のフェンスによりかかりながら見ていました。試合中、美智子さまのショットは正確で、ドイルさんにも的確なアドバイスをされていました。美智子さまは、関東学生新進テニス選手権大会で優勝されたこともあり、テニスの腕前は相当なものでした。
試合後、陛下は私に「あんなに粘り強く正確に返球されたらかなわないね」とおっしゃいました。
その後、陛下と美智子さまはテニスを通じて親交を深めてまいりました。戦後10年はたっているとはいえ、皇太子妃は元皇族か元華族から選ばれるのが当たり前と考えられていたので、民間の美智子さまはマスコミからほとんどノーマークでした。