映画において、セックスが芸術的なテーマとなり得ることを証明した一大事件だったと言っていいかもしれない。テレビでは放送できないほどエロチックで、「不道徳」とも受け止められかねない表現活動が、成人指定の映画ならば可能であることを多くの人々に知らしめたのである。若松の作品には権力への反骨精神も渦巻いていた。

 そして運命の日がやってくる。昭和46(1971)年11月20日、「団地妻 昼下りの情事」が日活ロマンポルノの第1作として上映された(併映は「色暦大奥秘話」)。零細独立プロダクションの独壇場だったピンク映画の世界に大手の日活が乗り出し、社会的に大きな反響を呼んだ。

 舞台は、当時の日本人にとって一種のステータスでもあった団地。夫は満員電車に揺られ、マイホームと職場を往復する日々。性生活に不満をもつ妻。ちょっとした「火遊び」がきっかけとなって、予期せぬ事態に巻き込まれる。

 主演はそれまでピンク映画に200本以上出演してきた白川和子。女性のやさしさと色気を学ぶため、撮影所の帰りにゲイバーに通ったそうである。成人映画を上映している映画館にも自ら足を運んだ。

 ガサゴソ、ガサゴソ……。客席で新聞紙がこすれる音が聞こえてくる。映画を見ながら男性客が自慰行為にふけっていた。このとき、「よし! 私もポルノ女優としてプロに徹しよう」と思ったという。

 石原裕次郎や渡哲也のアクション映画や、吉永小百合の青春映画で日本映画の黄金時代を担った日活。ポルノに進出した背景には深刻な経営危機があった。

 そもそも映画産業全体が斜陽の道を転がっていた。日活は、放漫経営が響き、撮影所や本社ビルなど手持ちの不動産を次々と売却。起死回生を狙い、エロスの道を選んだ。だが、老舗としての意地がある。ピンク映画の2倍、3倍の時間や予算をかけてポルノを撮った。それまでのピンク映画が「パートカラー」だったのに対し、日活は「オールカラー」とポスターにも派手に宣伝文句をうたった。

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