「ピンク」と「ロマン」の違いは? 日本“ポルノ映画”の歴史 (3/3) 〈週刊朝日〉|AERA dot. (アエラドット)

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「ピンク」と「ロマン」の違いは? 日本“ポルノ映画”の歴史

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日活ロマンポルノは法廷にも持ち込まれた。製作、配給の責任者らが「わいせつ」の罪に問われて起訴され、最終的には全員無罪に。問題とされた作品に出演していた女優・田中真理は初公判を傍聴するために裁判所の前に並んだ=1973年6月4日、東京・霞が関の東京地裁 (c)朝日新聞社

日活ロマンポルノは法廷にも持ち込まれた。製作、配給の責任者らが「わいせつ」の罪に問われて起訴され、最終的には全員無罪に。問題とされた作品に出演していた女優・田中真理は初公判を傍聴するために裁判所の前に並んだ=1973年6月4日、東京・霞が関の東京地裁 (c)朝日新聞社

ピンク映画の中には、どぎつい看板もあった=1968年、大阪・京橋 (c)朝日新聞社

ピンク映画の中には、どぎつい看板もあった=1968年、大阪・京橋 (c)朝日新聞社

日活ロマンポルノ「壇の浦夜枕合戦記」を演出する映画監督の神代辰巳。右端は小松方正、女優は渡辺とく子=1977年 (c)朝日新聞社

日活ロマンポルノ「壇の浦夜枕合戦記」を演出する映画監督の神代辰巳。右端は小松方正、女優は渡辺とく子=1977年 (c)朝日新聞社

 ロマンを求めるポルノだから「ロマンポルノ」。海の向こうの米国でもポルノが解禁されていた。世界中の若者たちが既成の概念を打ち砕いた60年代のカルチャーが日本人の間にも浸透し、マスコミの許容範囲も広がっていた。

 もちろん、ポルノへの転身に戸惑ったスタッフもいる。プロデューサーと監督は本名を使ったが、カメラマンやシナリオライターの中には偽名を使った人もいたという。

 だが、男と女の絡みのシーンを10分に1回程度入れさえすれば、あとは作風もテーマも自由。ロマンポルノの現場は、駆け出しの映画監督たちにとっての登竜門となる。頭角を現したのが滝田洋二郎、周防正行、森田芳光、相米慎二、そして神代辰巳。撮影現場は高揚した空気に包まれていた。

 もちろん、性器や陰毛が映ってはいけない。必需品は「前貼り」。毛深い人は撮影前に剃毛して撮影に臨む。はがすときは痛かったようだ。監督自らがエレクトして困ったこともあったそうだ。演技を助けるために、女優の股間を指で刺激していたら「ア~ン」とうめき声を上げたので、つい興奮してしまったという。

 閑話休題。白川和子だけでなく、ロマンポルノを彩った人気女優についても紹介したい。女子高校生もので売り出した片桐夕子は可憐で幼さの残る容貌が魅力だった。エキゾチックな容姿で売り出したのが田中真理。団鬼六原作の「花と蛇」などに出演し、「SM」の女王と呼ばれたのが谷ナオミである。緊縛シーンから立ちのぼってくる香気。男の傍らで快楽にむせびながら、目の奥にはどこか恥じらいがあった。ほかにも宮下順子、風祭ゆき、東てる美、三東ルシア、北原ちあき、山本奈津子……。私の脳裏には走馬灯のように名前がよみがえる。ああ、どうにも止まらない。

 日活は昭和46年以降、1千本以上のロマンポルノ作品を量産したが、昭和63(88)年に製作を中止する。アダルトビデオや裏ビデオの普及が主な原因とされるが、性をめぐる日本人の意識やライフスタイルも大きく変わりつつあった。

週刊朝日  2018年11月30日号


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