アルバムの幕開けを飾る「ぼくはムギを知らない」は、粉になり、酒になった“ムギ”は知っていてもその実態を知らないと歌うユーモラスな曲だ。作詞の及川が本作の解説で“菜食主義者だって、生き延びるために命をいただくことにかわりはない。しかも血肉を作るために菜食するとは皮肉である”と触れている。

 その及川が単独で詞、曲を書いた「世界はまだ」は、愛の形、愛のあり様、愛の意味について問いかけた歌だ。大雪が降ればすべてがとざされてしまう首都圏のあり様を背景にした「大雪の日」、密室の愛を歌った「GOOD来るように愛してね」、また「永遠の歌」や「世界が完全に晴れた日」など、自身を取り巻く日常や内面を探った歌には社会との関わりが見え隠れしている。

「道」は詩人の黒田三郎の詩に小室が曲を書いた。小室は解説で第二次世界大戦後、南方から引き揚げてきた黒田が焼け野原と化していた故郷の鹿児島の地に立った時に生まれた詩と紹介し、“時代の背景は、あの時も、今も変わらない? いやもっと悪いと思う”と触れている。

 歌詞には“右に行くのも左に行くのも今は僕の自由である”とあるが、マイナンバーを勝手に決められ、町中に監視カメラがあって自由なんてない世の中で、より自由であることを求めたい、とも語っている。

 詩人の佐々木幹郎の詩に小室が曲を書いた「てんでばらばら~山羊汁の未練~」も興味深い。本作に寄せた佐々木の解説によれば、80年に韓国で起きた“光州事件”をテーマにした詩であり、当時の軍事政権に反対して蜂起した市民に呼応して書いた。サンダル作りにミシンの音を響かせる在日の人々の暮らし、佐々木の知人の在日詩人から教わった山羊汁の話などに事件のエピソードが入りまじる。リズミカルなギター演奏をバックに、シンプルなリフレインを繰り返しながら、素の語りで様々な情景や思いを浮かびあがらせるという曲構成。いずれも、詩人よる“詩”にメロディーを付加した“詞”に長年取り組んできた小室が作曲手腕を発揮したものだ。

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