ナボコフは愛妻家で蝶の研究者でもあった?
ナボコフは愛妻家で蝶の研究者でもあった?

 比較文学者・評論家の小谷野敦氏が選んだ「今週の一冊」は、『アメリカのナボコフ 塗りかえられた自画像』(慶應義塾大学出版会/秋草俊一郎)。名著『ロリータ』を遺した“亡命作家”はどう評価されているのか――。

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「日本ナボコフ協会」が設立されたのは1999年のことだ。ソ連から米国への亡命作家であるウラジーミル・ナボコフの、少女愛小説の装いをとった『ロリータ』が米国でベストセラーになり、背徳的小説かと話題を呼んだのは1950年代で、日本でもほどなく大久保康雄の翻訳が出たが、実はこれはさほど売れなかった。

 その後も『ロリータ』は装いを改めて刊行され続けたが、日本ではここから派生した「ロリコン」という語が密かに知られていただけで、実際に『ロリータ』が広く読まれるようになったのは、1980年に大久保訳が新潮文庫に入ってからだと思う。

 それから20年ほどの間に、ナボコフの名は、少女愛小説の書き手というより、文学の最後の前衛的な作家として広まっていき、ナボコフを参照したような円城塔が「前衛」作家としてもてはやされる現象も起きた。これには、84年に「筑摩世界文学大系」でボルヘス・ナボコフの巻が刊行され、そこに、架空の詩人の詩に注釈をほどこした体裁の『青白い炎』が収められたことや、ロシア文学やヨーロッパ文学についての学究的な「講義」が翻訳され、ロシア語と英語を自在に往復し自作を翻訳する多言語作家としてのナボコフ像が浸透したこともあるだろう。

 本書の著者はナボコフの翻訳論でデビューした比較文学者だが、ここでは、アメリカへ渡ったナボコフが、どのようにして自己イメージを流布させていったかを記述し、日本でのナボコフ受容にも触れている。プーシキンの詩の注釈を出し、コーネル大学教授を務めた文学研究者でもある作家であること、ロシア語と英語を自在に使い自作を翻訳できることもアピール、愛妻家で蝶の研究者でもありチェスもたしなむという知識人的作家のイメージを作り上げていった。日本では二、三十年遅れて、ナボコフのこういうイメージが広まったと言っていいだろう。

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