玉木正之さん(多田敏男撮影)
玉木正之さん(多田敏男撮影)
大リーグオールスターゲームに日本人選手として初出場したロサンゼルス・ドジャースの野茂英雄投手=1995年 (c)朝日新聞社
大リーグオールスターゲームに日本人選手として初出場したロサンゼルス・ドジャースの野茂英雄投手=1995年 (c)朝日新聞社

 平成も後1年と数カ月。振り返ると、いろんなニュースや人物が思い浮かぶはずです。野球やサッカーなどスポーツシーンでも、みなさんの印象に残る多くの場面があったでしょう。スポーツ評論家として現場を見続けてきた玉木正之さんに、振り返ってもらいました。

【写真】日本野球界の一番の功労者はこの人だ!

 印象に残ったのは1993年のJリーグ誕生です。平成のスポーツを語る上でこれ以上はないくらい大きなことでした。日本で初めて「スポーツをする団体」が生まれた。例えば大相撲は伝統を守るため、高校野球教育のためにやっている。Jリーグ発足時にチェアマンだった川淵三郎が面白いことを言った。ある記者が「Jリーグを作って何をするつもりですか」と聞くと、「サッカーをします」と答えたんです。ここに全てが表れている。日本に純粋なスポーツ団体といえるものが、それまではなかった。スポーツそのものの団体が生まれたことは、すごい事件だと思いました。

 地域密着やホームタウンという言葉も定着しています。今ではJ3まであり、各都道府県でチームがつくられて発展していった。方針を貫いた証拠です。日本のスポーツに革命を起こした。

 次に印象強いのは野茂英雄です。日本人選手の米メジャーリーグへの道筋をつけました。

 日本のプロ野球はそれまで巨人の人気一辺倒。パ・リーグでは実力がありながら認められない。そこで実力本位のアメリカに行って、認めさせてやると挑戦したのが野茂だった。当時は批判的な論調が大半で、応援するコメントは私を含め少数でした。

 野茂効果でパ・リーグチームの改革も進みました。次々と選手たちがアメリカに行く中で、球団をどう盛り上げていくのか、最初に取り組んだのがロッテです。バレンタインが2度目の監督をしていた頃に、荒木重雄(ロッテの元事業本部長)が外から入ってきて、観客を増やす方法を考え抜いた。負けても観客が増えるようにしてほしいというバレンタインからの要望もあった。そこで試合で花火をあげたり、ビアガーデンや屋台をやったりと、ファンサービスの向上に取り組んだ。

 今では、楽天や他球団も取り組んでいます。球団と球場が一体になったビジネスモデルをつくり始めた。それらを突き詰めると、全てのきっかけが野茂です。イチローや松井秀喜もいますが、日本の野球界への影響力を考えると野茂の功績は大きいですね。(本誌・大塚淳史)

※週刊朝日オンライン限定記事